2015年08月16日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第28回「使徒言行録11章1〜18節」
(13/4/14)(その2)
(承前)
コルネリウスは、エルサレム教会にかかわる異邦人信徒第一号となりました。
当然のごとく、コルネリウスに割礼を受けさせるように、との要求が出たはず
です。そして、その要求が、ペトロに「あなたは割礼を受けていない者たちの
ところへ行き、一緒に食事をした」という裏返しの非難として発せられたので
す。ペトロは、コルネリウスが割礼を受ける必要はないのだ、洗礼を受けさえ
すればいいのだ、ということを論証しなければなりません。さあ、ペトロはど
うするのでしょうか。
4〜18節「そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。『わたしが
ヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大
きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下り
て来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥など
が入っていました。そして、「ペトロよ、身を起こして食べなさい」という声
を聞きましたが、わたしは言いました。「主よ、とんでもないことです。清く
ない物、汚れた物は口にしたことがありません。」すると、「神が清めた物を、
清くないなどと、あなたは言ってはならない」と、再び天から声が返って来ま
した。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまい
ました。そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人
が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、「ため
らわないで一緒に行きなさい」と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒
に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が
立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれま
した。「ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あな
たと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。」わたしが話しだす
と、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。
そのとき、わたしは「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊
によってバプテスマを受ける」と言っておられた主の言葉を思い出しました。
こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくだ
さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような
者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。』この言
葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与
えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。」
ペトロは、15:7以下の演説で明らかなとおり、「異邦人改宗者に割礼を強制
しない」という立場をとっていました。しかし、ここではその自分の意見を一
切述べませんでした。それよりも、この問題を考えるにあたって、まず第一と
しなければならない問題、神の意思、にエルサレム教会の信徒の目を向けさせ
ることとしました。そこで、彼は「順序正しく」つまり、自分の意図が相手に
正しく伝わるように整理しなおして、自分が体験したことを紹介したのです。
5節から16節までのペトロの体験談は、10章の物語を驚くほど忠実に再現して
います。しかし、やはりある意図をもって語られたものです。こっそりといく
つかの改変が成されています。その中の一つは6節、つるされて下りて来た動
物の中に、こっそりと野獣が加えられています。野獣は「清くない動物」であ
る可能性が高いですから(レビ記11:27)、「神が清めた物を、清くないなどと、
あなたは言ってはならない」との9節の神の指示を実体験よりより強調する意
図があると思われます。また、15節で、聖霊の介入がペトロの実体験(10:44)よ
り早くなっています。ペトロが話し始めてすぐ聖霊が降ったとされているので
す。ペトロの感話自体が聖霊の導きの下になされたこと、よってコルネリウス
らの受洗は100パーセント神の意思によることを言いたいのはないでしょうか。
結局、実例をもって「異邦人が無割礼のまま洗礼に与るのは、神の意思だ」
と宣言することでペトロの説明は締めくくられました。
そこまで言われれば、信仰深いエルサレム教会の信徒は、「静まり、神を賛
美」することとなるのではないでしょうか。
しかし、心底納得したかどうかは疑問です。推測ですが、総論賛成、各論据
え置き、ということで、「コルネリウスの場合は(無割礼のまま洗礼を受けて
クリスチャンとなることを)認めるけれども、全部の人については認められな
い」と受け止めた人が多かったのではないでしょうか。ゆえに、15章で「異邦
人信徒への割礼の要求」問題は再燃するのです。
神の御心が現実の中で実現するには、大変に時間と労力がかかります。しか
し、それでも神は待っていてくださいます。
(この項、完)
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