2015年07月12日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第26回「使徒言行録10章1〜33節」
(13/3/17)(その2)
(承前)

 まず第一にこの人は典型的なローマ人(異邦人)でした。コルネリウスという
名は、当時のローマ人によくあった名です。紀元前82年にコルネリウス・サラ
というローマの独裁官が、10,000人の奴隷を解放しました。その開放された
人々がコルネリウスを名乗ったとのことですので、その一族かもしれません。
しかもローマ軍の百人隊長です。「イタリア隊」の名の由来は不明ですが、西
方、ローマとの関係を強く示唆されます。ともかく典型的ローマ人であった、
ということです。
 が、それと同時に彼は「信仰心あつい」人でした。「信仰心あつい」人とい
う訳語は、一般的に信心深い人のことをさしますが、原語の「エウセベース」
は、その当時存在した、ある特定の人々をさす言葉です。この特殊の意味を強
調する場合は「敬神家」などといった訳語を用いたりもします。つまり、この
語は、ユダヤ人でなく、つまり異邦人にして、しかし改宗者ではなく、がそれ
にもかかわらず、ユダヤ教の信仰的、倫理的原理を受け入れ、ユダヤ的生活を
していた人、ないしはグループをさす言葉です。そんな奇特な人、「いたんか
いな」と思いますが、いたのです。ユダヤ教による異邦人伝道の成果もあった
かもしれませんが、ユダヤ教というより、旧約聖書の示す信仰、そしてとりわ
け生き方は、ユダヤ人以外の人、異邦人の心をそれなりに惹きつけていたので
す。コルネリウスの場合は、「敬神家」としても徹していて、定時の祈りを欠
かさず、施し(2、4節)もきちんと行っていました。
 この人に天使を通して神の指示が示され、啓示され、彼は、部隊の駐屯地で
あったカイサリアから、約50キロ離れたヤッファへ、ペトロを迎えに行くため
に、人を遣わすこととなりました。
 物語の後の展開を見ても明らかなとおり、コルネリウスには、ペトロをどう
しても迎え入れねばならない必然的理由が、たとえば病気だとかがあったわけ
ではありませんでした。しかし、神のご計画の中において、ペトロの回心の必
要のために用いられたのです。人の必要のために、にあることですが、用いら
れる、という用いられ方もあるのです。
 さて、肝心のペトロですが、このようなすばらしい人物を受け入れることに
おいてさえ、異邦人となると、大いなる抵抗を示すこととなります。以下、ペ
トロの側の出来事です。

9〜23節a「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは
祈るために屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食
べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたよ
うになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に
下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っ
ていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がし
た。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、
汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞えてきた。
「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういう
ことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。

 ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、
コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、
声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられま
すか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、W霊Wがこう
言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわな
いで、一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」ペトロは、
その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわた
しです。どうして、ここへ来られたのですか」と言った。すると、彼らは言っ
た。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に
評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使から
お告げを受けたのです。」それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせ
た。」
 さて、ペトロの側への神の啓示ですが、これは、「我を忘れたような状態
(10節)」、原語では「エクスタシー」の中で行われました。これは、コルネリ
ウスへの啓示が、天使の出現というユダヤ伝統的な方法で行われたのに対し、
意外です。なぜなら、エクスタシーは本来、異教の啓示方法です。ユダヤ教で
は否定的に見られてきました。ユダヤ教では、エクスタシーではなく、予見な
のです。
 このような方法で神がペトロへご自身を顕されたこと、「神は何でもおでき
になる」という、この物語の次の展開への伏線とも受け取られます。

(この項、続く)



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