2015年06月28日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第25回「使徒言行録9章32〜43節」
(13/3/10)(その2)
(承前)
ペトロが、改めてイエスに従うことを確認する出来事でした。しかし、同時
に、異邦人伝道においては、自分は引っ込み、イエス・キリストが前面に出る
べきことが示された出来事でした。これが異邦人伝道のコツの第一でした。し
かし、イエス・キリストが前面に出るとはどういうことなのでしょうか。それ
が次の物語において示されます。
36〜43節「ヤッファにタビタ―訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」
―と呼ばれる夫人がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。とこ
ろが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安
置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞
いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼ん
だ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着
すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆傍に寄って来て、泣きながら、
ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。ペトロ
が皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』
と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を
貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビ
タを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペト
ロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。」
事の成り行きの方から触れていきたいと思います。
場所はヤッファ、リダから約19キロ北西に行ったところで、地中海岸の町です。
ヨナがタルシシュ行きの舟に乗った港町で、当然の事ながらユダヤの領域内で
す。「婦人の弟子(36)」「弟子たち(38)」「聖なる者たち(41)」といった言葉
からして、ここにも教会の母体となる「クリスチャン(イエスを信ずる者)」の
群れがあったことが推測されます。しかし、この町が点検の対象となっていた
かどうか、不明です。対象となっていなかったのではないか、とも思われます。
にもかかわらず、ペトロがこの町の「クリスチャン(イエスを信ずる者)」に呼
ばれることとなりました。きっかけは、「クリスチャン(イエスを信ずる者)」
の一人である女性が亡くなったことです。この女性は、タビタという名からし
て、それがわざわざギリシア語に翻訳されていることからして、ユダヤ人で
しょう。さらに「たくさんの善い行いや施し(36)」「ドルカスが一緒にいたと
きに作ってくれた数々の下着や上着(39)」といった表現からして、彼女は「ク
リスチャン(イエスを信ずる者)」の間ばかりでなく、多くの人に慕われていた
のでしょう。そこで、何とペトロが「死者の蘇生」の奇跡を期待されて、19キ
ロの道を呼びに来られたのです。さあ、ペトロはどうするでしょうか。
彼女は階上の部屋に安置されていました。階上の部屋に遺体が置かれるとは、
「風通しのよいところに安置する」という意味もあるかもしれませんが、そこ
が、神に祈るための礼拝所である(列王記上17:19)という意味もあったかもし
れません。いずれにせよ、ペトロはそこへ上がり、人払いをし、祈ることに
よって、彼女を生き返らせたのでした。この物語には、どのような意味がある
のでしょうか。
死は人間にとってどうしても乗り越えられない限界です。ですから、聖書に
おいてもさすがに「死者の蘇生の奇跡」は決して多くは記録されてはおりませ
ん。その数少ない「死者の蘇生の奇跡」の中で、旧約聖書には、預言者エリヤ
とエリシャが行った「死者の蘇生の奇跡」が記されています(列王記上17章、
列王記下4章)。これにはどういう意味があるのでしょうか。それは、神が見失
われた場所と時代において、まことの神は、命を与えることのできるお方であ
られることを示す、そういう意味がありました。そして、イエスは、生前に、
ヨハネによる福音書だけに記されたラザロの蘇生の物語(ヨハネ11章)を除けば、
一度のみですが、「死者の蘇生の奇跡」をなさいました。ヤイロの娘の物語で
す(マルコ5章、平行)。イエスの「死者の蘇生の奇跡」にはどういう意味があ
るのでしょうか。それは、イエスが実際に、よみがえりの命、永遠の命をお与
えになることの出来るお方であることを示すためでした。
それでは、使徒による「死者の蘇生の奇跡」はどのような意味を持つので
しょうか。使徒自身は、よみがえりの命、永遠の命の与え主でも何でもありま
せん。預言者の一人ですらありません。ただの弱い人間の一人に過ぎません。
細かいところですが、38節のペトロへの出張要請のところ、「急いで」と訳さ
れていますが、原文を注意深く読むと「決して遅れることのないように」と
いったニュアンスが読み取れます。ペトロが、何しろ「あのペトロ」ですから、
信用されていなかったことがわかります。ではいかなる意味か? ここで私た
ちは、使徒による「死者の蘇生の奇跡」が「クリスチャン(イエスを信ずる者)」
に対してなされたことに注目したい、と思います。
(この項、続く)
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