2015年06月14日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第24回「使徒言行録9章19節b〜31節」
(13/3/3)(その2)
(承前)
さて、こうして、パウロは、足場を固めて異邦人伝道の第一歩を踏み出しま
した。が、当然のことながら、いきなり命をねらわれることとなります。しか
し、パウロは神がまだまだこれから用い賜う器です。神は、ヨシュア記2章の
故事に倣って、救い出してくださいました。神は、必要とあれば、必ず救いの
手を差し伸べてくださいます。
異邦人伝道に取り組むに当たって、次に、第二番目にパウロが取り組んだこ
とが、エルサレム教会との関係を築くことでした。
26〜31節「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は
彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒た
ちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダ
マスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロ
はエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるよ
うになった。また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らは
サウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカ
イサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を
畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」
少し前に戻りますが、23節の「かなりの日数がたって」が、どのくらいの日
数なのか不明です。せいぜい数十日程度だろう、と考えるのが、私たち、現代
の読者の常識ですが、分かりません。パウロ自身の供述(ガラテヤ1:18)に従え
ば、3年とも考えられます。もし数十日とすれば、「ダマスコで伝道してみた
が、うまくいかなくて…」とも考えられますが、3年ともなると、殺害予告を
受けつつも、それなりの伝道の成果は上がっている、ということになります。
もしそうであれば、常識的には、ここでパウロを創始者とする新たな教団が形
成されてもおかしくはなかったのではないでしょうか。つまり、ダマスコ途上
での新たな啓示を出発点とする教団です。
しかし、パウロは、そのようなことを一切志向せず、エルサレム教会との関
係をなんとしてでも作りたい、と志向しました。なぜでしょうか。それはもう
お分かりのとおり、パウロの異邦人伝道も、そしてダマスコ途上での啓示も、
神のイスラエルの選びに始まる救済計画の一環である、とパウロは強く確信し
ていたからであります。パウロも、自身は、主イエスの十字架と復活に始まる
新しい時代に属する一人の道具に過ぎないことを、深く自覚していたのです。
よって、復活の証人であるエルサレム教会、そして、使徒たちとの交流は、パ
ウロのこれからの伝道の基礎であり、なくてはならない出発点でした。
しかし、予想されていたとは言え、使徒たちの無理解と拒絶に会いました。
その理由は、アナニアの場合と全く一緒です。使徒たちは、復活の証人である
にもかかわらず、主のご計画が受け入れられないのです。
が、アナニアに主が直接語りかけられたように、ここではバルナバがとりな
しを致します。バルナバは、4:36で改宗したユダヤ人で、その名は「慰めの子」
という意味でした。しかし、彼は、その個人的素質によってではなく、パウロ
に「主が語りかけられた」ことをもってとりなしとしました。真のとりなしは、
「主にあってひとつ」となることによって達成されるのです。それで、パウロ
は使徒の一人として自由に活動できるようになったのです。28節の訳は、パウ
ログループと、使徒グループとが手を打ったようでよろしくありません。そう
いう解釈をする人もいますが、パウロは使徒たちと、エルサレム教会と一つと
なることによって、自身の伝道活動の基礎が固められたのです。
しかし、ここでもパウロの出身母体である「ギリシア語を話すユダヤ人」、
ヘレニストと対立します。理由は、ダマスコでのケースと一緒です。命からが
らカイサリアへ、そして出身地のタルソス(22:3)へと戻って、そこで、おそら
く伝道に従事しながら、時が来るのを待ったのでした。次にパウロが登場する
のは、12:25、アンテオケ教会にて、です。
私たちも、主のご計画によって生かされている者です。たとえ、私たち自身
には先が見えなくとも、御心でしたら、主は必ず道を開いてくださいますから、
その主の導きに従って歩んでまいりましょう。
(この項、完)
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