2015年06月07日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第24回「使徒言行録9章19節b〜31節」
(13/3/3)(その1)

19節b〜20節「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあち
こちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた。」

 異邦人伝道に召されたサウロ(パウロ)の最初の活動が記されています。場所
はダマスコ、異邦ですが、対象は実はユダヤ人でした。しかし、ここで、パウ
ロの異邦人伝道の型が形作られていきます。その型は、そのままキリスト教の
伝道の基本形です。早速その型の洞察に入っていくことと致しましょう。

21〜25節「これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。『あれは、エルサレ
ムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへ
やって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではな
かったか。』しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであること
を論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人たちをうろたえさせた。

 かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰
謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜
も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出
し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。」
 パウロの伝道の第一声は「この人こそ神の子である」でした。信仰告白から
入っていったのです。伝道とは、信仰告白を伝えることである、ということが
パウロにおいて初めて明確に示されたのです。私たちもパウロに倣う者となり
ましょう。そして、その告白の中味がさらに重要です。それは、「この人、す
なわちイエスこそ、神の子である」でした。現代の教会にとっては、ごく当た
り前の信仰告白かもしれません。しかし、教会の歴史において、「三位一体」
の教理が確立したのは、381年のコンスタンティのポリスの教会会議以降のこ
とです。あの、十字架にかかって人類の贖いの業をなしてくださったイエスが、
「神にして同時に人である」という神秘は、クリスチャンの間でも容易には受
け入れられなかったのです。
 しかし、十字架のイエスを見て、思わず「本当に、この人は神の子だった」
と告白した百人隊長(マルコ15:39)を初めとして、その後、多くの人が、この
告白を自分のものとしてきました。そして、使徒言行録においては、パウロが、
この信仰告白を告白する最初の者となったのです。もちろん、回心してすぐの
パウロですから、その深い意味についての洞察は、のちの彼自身による書簡、
特にローマの信徒への手紙を待たねばなりません。が、すでにこの時点におい
て、その信仰的洞察には到達していたのです。伝道、伝道というと、教会にど
うやって多くの人を連れ込むか、ということにのみとらわれる人がいますが、
それ以前に、まず、伝道する主体、本人が「イエスこそ神の子である」という
信仰告白を持っているかどうか、そしてそれを伝えたいと願っているかどうか、
むしろ、そこが問われています。伝道とは、イエスが神の子であること、イエ
スにおいてのみ救いがあることを告げることに他ならないからです。異邦人伝
道の場合こそ特にそうだ、ということです。
 次に、パウロは、この第一声を、何とユダヤ教の会堂、シナゴグで発しまし
た。これにはどういう意味があるのでしょうか。当時のダマスコには、アナニ
アのように、キリスト教信仰を持った「人」はいても、教会が形成されておら
ず、やむを得ず、その地にいるユダヤ教徒の中に、パウロに共感してくれる人、
同志を探すためだった、と考えられないこともないかもしれません。しかし、
ガラテヤ1:17に示唆されるごとく、ユダヤ教徒としてのパウロの活動拠点がダ
マスコであったとすると、話は全く違ってきます。ダマスコで、ユダヤ教徒と
してのパウロは一体何をしていたのでしょうか。会堂を拠点として、ユダヤ教
による異邦人伝道をしていた可能性があります。ダマスコの会堂は、彼の、つ
い何日か前までの同志の集うところでした。
 そんなところへ行って、手のひらを返したようにキリストの福音を宣べ伝え
たらどうなるか、それは火を見るよりも明らかです。私たちがパウロの立場
だったら、絶対に会堂へは行かないし、ましてそこで福音を宣べ伝えるなどと
いう「とんでもないこと」は絶対にしないのではないでしょうか。それをパウ
ロはあえてしたのです。なぜでしょうか。キリストの福音は、異邦人だけのた
めのものではなく、そもそもはユダヤ人にとって福音であるはずだからです。
キリストの福音は、イスラエルそしてユダヤに示された神の救いのご計画の完
成であって、異邦人伝道は別物ではなく、その延長線上にあるからです。異邦
人伝道に取り組む者は、より深くユダヤ人問題に取り組む者でなければなりま
せん。パウロは、自分の伝道が、神の救済計画に則ったものであることを宣言
したのです。

(この項、続く)



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