2015年05月24日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第23回「使徒言行録9章1〜19節a」
(13/2/24)(その2)
(承前)
すなわち、最初の教会形成は、イスカリオテのユダの補欠選挙を行い、十二
使徒体制を整えたところから始まりました(1:15)。しかし、体制を整えただけ
では、教会にはまだ力はありません。その必要な力がペンテコステの出来事に
よって与えられました。もうおわかりでしょう。ルカは、救済史(神の救いの
歴史)における新しい時代の始まりを「そのころ」という、独特の、目立たな
い時間表示で始めるのです。実際、新しい時代の始まりは、目立たない、地味
な出来事です。しかし、そこに大きな画期的な出来事、いわゆる名場面が起
こって、その時代の意義が一気に明らかとなるのです。
第二の「そのころ」は、6:1です。これは、実は異邦人伝道、これこそ教会
の使命、の時代の始まりの「そのころ」です。が、6:1以下、異邦人伝道の時
代の最初の出来事は、「教会の中にヘレニスト出身の人が増えた」という、そ
れだけの、見過ごしそうな出来事でした。しかし、このヘレニストの中からス
テファノ、そしてフィリポといった異邦人伝道を実際に担う指導者が現れ、大
迫害・ステファノの殉教を経て、異邦人伝道は、一旦はしぼみそうに見えなが
ら、実はそれがばねになって少しずつ進展するところまで来ました。しかしな
がら、異邦人伝道はまだ力不足、というのが現状です。何が足りないか。前回、
前々回のフィリポの伝道の事例から分かるように、異邦人伝道で何がなされる
べきなのか、何をしてはいけないのか、本当に分かっている人がいないという
こと、そこが問題なのです。つまり、福音に正しく立ち、しかもユダヤ教に精
通した人が教会にいない、というのが最大の問題でした。このままでは、教会
は、単なる一時的な宗教運動で終わってしまいます。
この異邦人伝道の危機を乗り越えるために、もっともふさわしい人物が、思
いもよらぬ方法をもって起こされた、というのが、使徒言行録の第二の名場面、
「サウロの回心」だったのです。それでは、どのようなプロセスを経て回心が
起こったのか、まず、その前半部分を見ていくことと致しましょう。
3〜9節「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天から
の光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わ
たしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたです
か」と言うと、答えがあった。『わたしはあなたが迫害しているイエスである。
起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行し
ていた人たちは、声は聞えても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っ
ていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、
食べも飲みもしなかった。」
サウロ(のちのパウロ)は、使徒言行録に初登場ではありません。すでに、
8:1に「サウロはステファノの殺害に賛成していた」という形で、さりげなく
登場しています。9:1〜2は、迫害者としてのパウロの姿を描写しています。し
かし、パウロはなぜ「主の弟子たち」教会のメンバーを迫害していたのでしょ
うか。それは、決してパウロが意地悪な性格であった、とか、悪意とかが理由
ではありませんでした。むしろ、彼は「善を行っている」と考えていたようで
す。フィリピ3:5〜6、パウロが自分自身について述べているところですが、そ
こでパウロは回心以前の自分を「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さ
の点では教会の迫害者、律法の義に関しては非の打ち所のない者でした」と述
べています。また、同じくガラテヤ1:13〜14では「わたしは、徹底的に神の教
会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一
倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの者よりもユダヤ教に徹しようとしていま
した」と述べています。これらから推察するに、彼は、そもそもはユダヤ教へ
の熱心さ、つまり律法への熱心さから、律法を軽んじているように見えるキリ
スト教徒、特にヘレニスト出身のステファノ教会のメンバーに焦点を合わせて
迫害をしていたのではないか、と思われます。
ダマスコは、言うまでもなく、現在のシリアの首都ダマスカスのことです。
ガラテヤ1:17によれば、そこはパウロのそもそもの活動拠点だったようで、彼
がダマスコでの迫害を企んでいたことが、1〜2節から窺えます。
さて、回心の出来事そのものに入ります。パウロはダマスコに入る直前に
「天からの光」を受けました。「天からの光」は神顕現の象徴です(詩編27:1
など)。さらに、「地に倒れる(4節)」も神顕現の象徴です(エゼキエル1:28な
ど)。パウロは、この二つの事実により、何と神が畏れ多くも自分にお姿をお
示しくださった、ということが分かりましたか。ですから、「主よ、あなたは
どなたですか」と、神への呼びかけをもって対応したのです。答えは「私は、
あなたが迫害しているイエスである」でした。
(この項、続く)
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