2015年04月26日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第20回「使徒言行録8章1b〜13節」
(13/2/3)(その3)
(承前)
そもそもは、この地域は、北イスラエル王国、オムリ王の時代にイスラエル
に編入された地域で(列王記上16章)、イスラエルの一部です。オムリ以後、北
王国の首都となってきました。しかし、北王国がアッシリアによって滅亡させ
られると、サマリアの住民27,290人は流刑に処され、代わりに他民族がこの地
に住まわせられることとなりました。他民族は、イスラエルとは別の神々を持
ち込みます(列王記下17章)。サマリアは、宗教混交の地となってしまいました。
しかしそれでも「主なる神(ヤーウェ)」信仰は途絶えませんでした(エレミヤ
41:4)。が、1.聖所をゲリジム山とする点、2.五書のみを正典とする点におい
て、ユダヤ教団とは折り合いがつかず、ついに、紀元300年ごろまでに、サマ
リア人は、ユダヤ教団によって正式に「異邦人」と認定されるに至ってしまっ
たのです。
ユダヤ教から、「同胞復帰」の試みもなされました。ヘロデ大王は、サマリ
アの女性を妻の一人として迎えました(マルタケ)。また、2世紀のユダヤ教の
指導者ラビ・アキバは、サマリア人に対して寛容策をとりました。しかし、そ
の試みは結局は失敗に終わったのです。
が、一方のイエスのサマリアに対する姿勢も微妙、両義的です。「サマリア
人のたとえ(ルカ10章)」では、サマリア人は、隣人愛の対象ではなく、担い手
とされており、完全に「同胞」です。しかし、ルカ17:18では、サマリア人の
重い皮膚病患者が「外国人」と断定されています。ここ、使徒言行録8章で、
フィリポは、「同胞伝道」を行ったのでしょうか。「外国人伝道」を行ったの
か、一体どっちなのでしょうか?
基本的には「同胞伝道」でした。11:19には、「散らされた人々」、フィリ
ポもその一人です、は、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」と
記されています。本当の本当の「異邦人伝道」には、まだ時が熟していなかっ
たのです。サマリア伝道は、「失われた同胞の回復」を求める伝道の延長線上
にありました。その意味で、教会は、見かけ上、ユダヤ教リベラル派と路線を
一にします。しかし、ここに登場する魔術師シモンに見られるごとく、サマリ
アは、完全に異教化していました。そして、その地域にフィリポは、ユダヤ教
を伝えたのではなく、神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知ら
せたのでした。その意味で、サマリア伝道は、異邦人伝道の奔り、つまり、ユ
ダヤ教への回帰を求める運動ではなく、まことの神へのすべての民の立ち返り
を求める運動となったのです。
こうして、異邦人伝道は、意外にもサマリアにてスタートしました。が、こ
の記事は、異邦人伝道の本質、異邦人が、ユダヤ教に回帰するのではなく、イ
エス・キリストによって啓示されたまことの神に立ち返るべきことを明確に示
しています。
(この項、完)
第21回「使徒言行録8章14〜25節」
(13/2/10)(その1)
14節「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れた
と聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。」
サマリア伝道の続きです。サマリア伝道が始まったきっかけは、エルサレム
における大迫害でした。しかし、先週も述べましたように、それは、大虐殺で
はありませんでした。それで、教会のメンバーは、「ユダヤとサマリアの地方
(1節)」に散らされて行き、その散らされて行ったメンバーの一部が、サマリ
ア伝道に携わることとなりました。
8章1節の「使徒たちのほかは皆」という何気ない記述に示唆されるごとく、
散らされて行った人たちの主力は「ギリシア語を話すユダヤ人(6:1)」すなわ
ちヘレニストであるユダヤ人の信徒でした。実際、サマリア伝道を行ったのは、
教会の食事係のナンバー2、ステファノに次ぐヘレニストの信徒のリーダー、
フィリポだったのです。
フィリポは、ステファノが殉教前に弁論(演説)の中で明らかにしている「ス
テファノ教会の理念」に従って伝道を進めていったことと考えられます。すな
わち、神の憐れみはすでに異邦人の方に向けられ、ヘレニズム世界で成功を収
めることが、教会に求められている、という理念です。
しかし、フィリポが伝道の対象としたサマリアは、異邦人地域とは言えませ
ん。なぜなら、サマリアは、今はユダヤ人地域とは分断されてしまっている、
とは言え、かつてはイスラエルの同胞であったからです。それゆえ、ユダヤ教
徒の手によって、絶えず、「同胞復帰」のための伝道がなされてきました。
が、フィリポのサマリア伝道は、かつての同胞への伝道であるとは言え、ユ
ダヤ教徒による「同胞復帰」のための伝道とは一線を画するものでした。一つに
は、サマリアは、魔術師シモンが「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」
とこぞって言われるくらい(10節)、異教化していました。そして、当然のこと
ながら、フィリポは、ユダヤ教への回帰ではなく、イエス・キリストの「神の
国の福音」を伝えたからです。ゆえに、私は前回の説教で、このフィリポによ
るサマリア伝道こそが、「異邦人伝道の奔り」である、と言ったのです。
(この項、続く)
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