2015年04月05日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第19回「使徒言行録7章44節〜8章1節a」
(13/1/20)(その3)
(承前)

 ステファノは、ここではもうすでにユダヤ教当局者のみならず、ユダヤ人、
ユダヤ教徒全部を相手にしています。そして、ユダヤ人を「心と耳に割礼を受
けていない人」と定義しています。「心に割礼を受けよ」という表現は、申命
記30:6などに見られますが、「耳に割礼」という表現は、エレミヤ6:10に見られ
はするものの、他にはない表現です。ユダヤ人が、割礼を受けながら、神の言
葉を聞いていないし、心に受け止めていない、よって、聖霊(神)に逆らってい
るという意味です。だとすると、当然預言者たちを迫害するだろうし、「その
方(イエス)」を裏切り殺したのも、当然の帰結である、ということとなります。
ステファノは、ここでユダヤ教徒と対決する覚悟を決めたのです。そして、聖
霊に逆らう、つまり、神に逆らう者というレッテルは、ユダヤ教徒にとって、
許しがたい言葉となりました。
 判決は下り、ステファノは、石打の刑に処せられることとなりました。

54節〜8章1節a「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎし
りした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っ
ておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられる
のが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ
目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人た
ちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投
げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊を
お受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼ら
に負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りに
ついた。サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」

 大変に痛ましい記事です。しかし、ステファノの犠牲をもって、教会は新た
な段階へ進むこととなりました。その新たな段階については、次回取り上げる
ことと致します。

(この項、完)


第20回「使徒言行録8章1b〜13節」
(13/2/3)(その1)

 前回は、ステファノの殉教のところまで来ました。
今日はその続きからです。

8章1節b〜3節「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たち
のほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々
がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から
家へと押し入って、教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」

 最初に「その日」という一言を取り上げましょう。ルカが、「そのころ」と
いう、一見あいまいな時間表示をもって、時代の変わり目を、つまり、クロノ
ス(ただ流れる時間)ではなく、カイロス(時代)の変わり目を表現していること
は、6:1(の講解)ですでに述べました。ここ、8章は、6:1からの「そのころ」
の時(カイロス)の中にあります。どういう時か、と言えば、「教会が異邦人伝
道に着手した、その時」です。まず、教会が、ギリシア語を話すユダヤ人の信
徒の中から、食事係を選出しました。この食事係は、実は、ただの食事の世話
をするだけの人ではありませんで、使徒に準ずる、宣教の働きを担う人でした。
そして、その筆頭であるステファノは、ヘレニズム世界での成功と、異邦人こ
そ神が目を注がれる対象であることを主張します。そして、その裏返しとして、
律法を必死に守ってきたユダヤ人が、神のみ心に適わないこと、そして、神殿
の造りも、神のみ心に適わないことを主張します。「当然の結果」として、彼
に、おそらく「冒涜罪」の判決が下り、彼は、石打の刑に処せられて死にまし
た。
 このままでは、「教会が異邦人伝道に着手した、その時」は、ステファノの
殉教をもってあえなく終わってしまいます。が、「そのころ」の中の、ある特
定の時、「その日」に決定的な出来事が起こり、「そのころ」で定められた
テーマが実現するのです。同じこと、同じパターンが、使徒言行録では、以前
にも一度ありました。1:15の「そのころ」、ペトロを中心とする弟子たちは、
イスカリオテのユダの補欠選挙を行い、教会形成の準備を整えていました。そ
こに「聖霊降臨」が起こり、弟子たちは力を得ました。が、そのままでは、そ
れだけのことで終わってしまいます。ところが、2:41、聖霊降臨のその日に、
「三千人」が洗礼を受けて、使徒たちの仲間に加わり、本当に教会が形成され
ることとなったのです。
 さて、ということで、今回は、「その日」、「教会が異邦人伝道に着手した、
その時」に役立つ何が起こったのでしょうか。それが、予想に反して、「エル
サレム教会に対して起こった大迫害」でした。しかし、一体なぜ、「エルサレ
ム教会に対して起こった大迫害」が、「教会が異邦人伝道に着手した、その時」
に決定的に役にたったのでしょうか。普通は逆ではないでしょうか。

(この項、続く)



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