2015年03月29日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第19回「使徒言行録7章44節〜8章1節a」
(13/1/20)(その2)
(承前)

 つまり、イスラエルの民にとっての礼拝所は、極めて素朴なものであったと
いうのが、礼拝所の歴史の始まりなのです。しかし、この幕屋は単に素朴なだ
けではありませんでした。神の指示に従い、極めて精緻に作られたことになっ
ているのです(出エジプト記25:8)。もちろん、婦人会の聖研でお分かりのとお
り、そこには、荒れ野では絶対に手に入らない材料が多く含まれており、この
指示は後の神殿の、単なるイメージです。しかし、それにもかかわらず、「幕
屋は神の指示によってなった」と信じられてきたことは確かで、それゆえ、ス
テファノ(ルカ)は、44節で、「証しの幕屋」という表現を使っていると考えら
れます。そして、その幕屋は、イスラエルがカナンに入ると共に、カナンに持
ち込まれました。
 しかし、話をややこしくして大変恐縮なのですが、旧約聖書の原語であるヘ
ブライ語には、「幕屋」を表わす語が二つありました。「オヘル」と「ミシュ
カーン」です。「オヘル」は、天幕(テント)という意味もあり、どちらかとい
うと、素朴な「臨在の幕屋」のことです。それに対して「ミシュカーン」は、
神の指示に従って作られた「精緻な(神殿の原型としての)幕屋」のことです。
さらにややこしいのは、ごめんなさい、「オヘル」も「ミシュカーン」も、
七十人訳の訳者によって、「スケーネー」と訳されてしまったことです。よっ
て、私たちは、新約聖書で「スケーネー」という語が出てきたとき、著者は、
「オヘル」の意味でその語を使っているのか、あるいは「ミシュカーン」の意
味でその語を使っているのか、はたまた両方なのか、推測せねばならせなく
なってしまいました。44節、45節はどうでしょうか。ここでは、もちろん、文
脈からの推測ですが、両方です。両方と言ってもどう両方か、と言えば、「オ
ヘル」が基本なのですが、「ミシュカーン」の「神によって指示された」とい
う側面を付け加えた、そういう両方、と考えられるのです。これが、ルカが、
幕屋をただの「幕屋」と呼ばず、「証しの幕屋」とよんだ、もう一つの、深い
意味です。もうお分かりのとおり、時代と共に、幕屋すなわち、「スケーネー」
の中の「ミシュカーン」の、しかも「精緻な」という部分がだんだん強調され、
主張されるようになって、神殿が建設される機運が高まった、と、ステファノ
(ルカ)はその後の歴史を見ているのです。
 ああ、言い忘れましたが、「オヘル」と「ミシュカーン」には、もう一つ大
事な違いがあります。「オヘル」には、「臨在の幕屋」という訳が的確にあら
わしているように、神が、礼拝する者と出会うために「お寄りくださるところ」
という意味合いがあります。が、一方、「ミシュカーン」には、「神が住まう
ところ」というイメージが大変に強い、と言えます。「神の住まい」とは、そ
のまま、神殿のことです。主として「ミシュカーン」という言葉で担われてきた
「幕屋」の観念の一部も神殿建設につながりました。
 46節にあるように、ダビデは、神殿建設の意欲を燃やしました。たぶん、王
としての権威の発露と、神に、永久にイスラエルの民と共に住んで欲しいとい
う願いとが合体したものと思われます。しかし、それは、預言者ナタンによっ
て押し止められました(サムエル記下7章5節以下)。ナタンはこの時、「オヘル」
と「ミシュカーン」の両方の語を使ってダビデを説得しました。礼拝所として
の幕屋の、「神が住まうところ」そして「精緻さ」という側面に「だけ」目を
向けるな、という意味だと思われます。幕屋は、あくまでも、人が神に出会う
ための、神の仮住まいの場所なのであり、その基本理念は、たとえ、神殿が建
設されても受け継がれねばなりません。
 よって、神が永久にイスラエルと、イスラエルとのみ、共に住まわれるよう
にとの願いが込められた当時の神殿、「ミシュカーン」の一部のみ受け継いだ
神殿には、大切なものが欠落している、と言わざるを得ません。そこで、イザ
ヤ書66章の引用において、捕囚前と同じく、現在(ステファノの時代)の神殿が、
批判にさらされるのです。当時の神殿は否定されねばなりません。
 この弁論をもって、ステファノは、神殿に関する告発をはっきりと認めまし
た。だったら、情状酌量でも求めたらいいのに、彼は、ここで、よせばいいの
に、ユダヤ教当局者たちを逆告発するのです。

51〜53節「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、
いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたが
たもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言
者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した
人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者と
なった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

(この項、続く)



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