2015年03月22日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第18回「使徒言行録7章17〜43節」
  (13/1/13)(その3)
(承前)

 この立場では、ユダヤ教団から「まあ、いいか。様子を見よう」と放置され
ることはありません。次の「聖所」に関する弁論を経て、「ステファノの殉教」
「教会の世界への拡散」と歴史は進んでいくこととなります。
 わたしたちの教会は、ステファノの血の犠牲の上に成り立っています。

(この項、完)


第19回「使徒言行録7章44節〜8章1節a」
(13/1/20)(その1)

44節「わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。」

 ステファノの、自分自身による弁論の第四部、最終部分です。 幕屋に関する
議論です。先取りして申し上げてしまえば、この部分が決定的となって、ステ
ファノは有罪、そして石打刑ということになるのです。それでは、ステファノ
の幕屋に関する議論とは、どのような議論なのか、一気に見ていくことと致し
ましょう。

44〜50節「私たちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見
たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのもの
でした。この 幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の
前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運びこんだも
ので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブ
の家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てた
のはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものには
お住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。『主は言われ
る。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家
を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはす
べて、わたしが手で造ったものではないか。」』

 クリスマス以降、講解説教において、ステファノの弁論を読んでまいりまし
た。第一部はアブラハムについて、第二部はヨセフについて、第三部はモーセ
についてでした。これらの議論をとおして、ステファノは、ユダヤ教とは違う
旧約聖書の解釈を示してきました。アブラハムが召しを受けたのは、実は「異
邦人状態」の時であったこと、ユダヤ教ではあまり高く評価されないヨセフが、
ヘレニズム世界における成功者のさきがけとして、高く評価されるべきこと、
そして、あのモーセを苦しめたのは、エジプトではないこと、です。つまり、
神のみ手は、異邦人に向かってきたし、これからも向かっていく、との主張が
そこに貫かれていたのです。イスラエルはどうかと言えば、割礼を受けたにも
関わらず、ヨセフをねたみ、モーセの足を引っ張り、偶像礼拝に走りました。
43節の引用の最後の言葉には、「神はイスラエルを見捨てられた」とのメッ
セージが言外に込められているのではないでしょうか。
 さて、実は、以上は、ステファノに対してなされた二つの告発のうち、「律
法をけなして(13節)」ないしは「モーセが我々に伝えた慣習を変え(14節)」と
言われているものへの反論でした。つまり、律法をけなし、モーセが我々に伝
えた慣習を変えているのは、「あなたたち」ではないか、イエスに従うステ
ファノ教会は、父祖の教えを忠実に守っているのだ、というわけです。
 そこで次に、ステファノは「この聖なる場所をけなし(13節)」ないしは「こ
の場所を破壊し(14節)」と言われている告発に対する反論をこれからする、と
いうわけです。この告発は、肝心要の告発でした。イエスの場合も、「宮きよ
め」が、告発の直接の理由となりました。そして、ステファノは、律法やモー
セの慣習に関する言い訳と異なり、ズバッと告発を認めました。よって大変に
わかりやすい、現代の私たちにもわかりやすい弁論となっています。
 告発にある「この場所」とか「この聖なる場所」と言われているところは、
神殿です。ステファノは、神殿を幕屋と比較して議論を進めます。
 カインとアベルの時代から、旧約聖書の世界では神に対する礼拝は、祭壇を
築いて「焼き尽くす献げもの」を献げる、という形で礼拝が守られてきました。
しかし、出エジプトの後、イスラエルの民は、神の指示に従って、幕屋という
礼拝所を造りました。幕屋とは何で、そしてどのようなものだったのでしょう
か。そこから話を始めてまいりましょう。
 幕屋と訳されている語の原語は、「スケーネー」と言います。スケーネーと
は、そもそもは「小さな、カバーされた住まい」すなわちテント(天幕)のこと
でした。遊牧民はテントで生活します。アブラハムもイサクもヤコブも住んだ、
そのテントが「幕屋」の原型です。で、出エジプトの民は、天幕の一つを、宿
営から遠く離れた所に張り、それを「臨在の幕屋」と名付け、主に伺いを立て
る者はそこに行くこととしました(出エジプト記33:7以下)。これが、幕屋=礼
拝所の始まりです。

(この項、続く)



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