2015年02月22日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第16回「使徒言行録7章1〜16節」
  (12/12/30)(その3)
 (承前)

 しかし、ステファノ教会は、このアブラハム像を提示することによって、教
会の信仰を表明しました。つまり、アブラハムの姿に、ステファノ教会の姿を
重ね合わせた、ということです。まず、神のご計画、神の指示があります。教
会は、自分の力、自分の考えではなく、ともかく、神の指示に従って新たな異
邦人伝道に出て行く、ということです。約束のみでその成就ははるかに見えず
とも…、ということです。
 わたしたちも、努力しているのだが、成果が全く見えない「空しい」日々を
送っているように見えることがあるかも知れません。が、それはアブラハムそ
してステファノ教会と同じ歩みをしているしるしです。わたしたちに見えなく
とも、神のご計画があるのです。私たちには、それに従うことのみが求められ
ています。

(この項、完)


第17回「使徒言行録7章9〜16節」
  (13/1/6)(その1)

9〜10節「この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。
しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファ
ラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジ
プトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。」

 サンヒドリンにおけるステファノの弁論の続き、第二部です。
前回触れたように、ステファノの弁論は、イエスとの出会いから解き起こすも
のではありません。一見、裁判と関係のないことを言っているかのように見え
ます。しかし、ステファノは、旧約聖書の、その当時のユダヤ人ならだれでも
が知っている物語を語りながら、当時のユダヤ教とは異なる解釈をして見せて
いるのです。
 前回は、アブラハムがテーマでした。イスラエルの祖先であるアブラハムは、
当時のユダヤ人にとって、「誇り」であり、模範でした。なぜなら、ユダヤ教
では、アブラハムは、まだ書かれていない律法を完全に守り、神に義とされた
人物として解釈され、教えられてきたからです。
 ところが、ステファノは、そのアブラハム像をひっくり返しました。アブラ
ハムが召命を受けたのは、まだ、メソポタミアにいたとき、まさに、アブラハ
ムが海のものとも山のものともわからない、有象無象の一人であった時代のこ
とです。しかし、アブラハムはとにもかくにもその召しに応えて忠実に従った、
その従順が神に喜ばれた、とするのです。
 このような百八十度の転換によって、ステファノは何を言いたいのか? そ
れは、アブラハムに「忠実に」倣っているのは、ユダヤ教徒ではなく、自分た
ち、イエスに従う者である、律法を守るがゆえではなく、キリストに召され、
異邦人伝道に打って出ようとしている自分たちである、と主張しているのです。
これは、律法をきちんと守ることこそ神に喜ばれることであり、律法を破るイ
エスに従うことなどゆるせない、と考えるユダヤ教徒にとっては、かなりカチ
ンと来る言説でした。というより、「絶対に許せない」という思いを抱かせたに
違いありません。
 そこで、次にステファノが取り上げる旧約聖書の偉人ですが、大方の予想に
反して、イサクやヤコブではなく、ヨセフでした。「異邦人がらみ」で、更に
ユダヤ教徒をつつこう、とする意図が見え見えです。9節、10節は、ヨセフ物
語の要約ですが、ステファノの「ヨセフ論」全体をまず、見ていくことと致し
ましょう。

11〜16節「ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が
襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。ヤコ
ブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせま
した。二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオも
ヨセフの一族のことを知りました。そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブ
と七十五人の親族一同を呼び寄せました。ヤコブはエジプトに下って行き、や
がて彼もわたしたちの先祖も死んで、シケムに移され、かつてアブラハムがシ
ケムでハモルの子らから、いくらかの金で買っておいた墓に葬られました。」

 まず、創世記に見られるヨセフの物語をざっとさらっておきましょう。ヨセ
フは、アブラハムの子のイサクの子のヤコブの子です。しかし、十二人兄弟(と
一人の姉妹)の下から二番目の子で、族長ではありません。ですから、マタイに
よる福音書1章のイエス・キリストの系図においては、その名は出てきません。
ですが、父ヤコブにとりわけかわいがられたせいなのか、あるいは、兄弟たち
が嫉妬深かったのか、いずれにしても、兄弟たちの手によってエジプトへ奴隷
として売られてしまい、エジプトで大変苦労致します。が、持って生まれた、
夢を見、夢を解き明かす才能が役に立ち、時のエジプトのファラオに取り立て
られて、宮廷の責任者(創世記41:40)の地位にまで上り詰めます。

(この項、続く)



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