2015年02月15日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第16回「使徒言行録7章1〜16節」
(12/12/30)(その2)
(承前)
しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかそ
の土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさった
のです。神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、
奴隷にされて虐げられる。』更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国
民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを
礼拝する。』そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こう
して、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、
ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。」
アブラハム(最初の名はアブラム)は、創世記11:27において、テラの子とし
て紹介されます。そもそもカルデアのウルに住んでいましたが、テラに連れら
れてハランまで来ました。その時、本日の旧約書、12:1〜3の召命を受けます。
命令は「生まれ故郷、父の家を離れ、わたし(神)が示す地に行くように」との
ことでした。そしてそれに伴う祝福は「大いなる国民とする」というものでし
た。アブラハム(アブラム)75歳にして、一族郎党と共にハランを出発して、カ
ナンの地、シケムに着きます。そしてそこで、神から「あなたの子孫にこの土
地を与える(12:7)」との約束を得ます。しかし、アブラハム(アブラム)は、そ
の後、ネゲブ地方へ移り(12:9)、さらにエジプトに下り(12:10)、再びネゲブ
に上り(13:1)、再びカナンに入って、15章で、再び神から「あなたの子孫にこ
の土地を与える」との約束を受けます。同時に、「子孫が異邦の国で400年に
亘って奴隷となること、しかし、脱出すること(13:13〜14)」を予告されます。
更に、17章で、アブラハム(アブラム)が99歳になったとき、神と契約を結びま
す。その契約のしるしが割礼でした。これ以後、彼は、アブラムではなく、ア
ブラハムと呼ばれるようになります。その後、嫡子イサクが誕生し(21章)、
25章7節にて、175歳にて死亡し、その遺体がマクベラの洞穴に葬られたことが
報告されます。以上が、創世記によって報告されるアブラハムの生涯の流れの
大筋です。
このアブラハムが、イスラエルの祖先です。そして、後のイスラエルの「誇
り」です。つまり、イスラエル人の生き方の原型となりました。問題となって
いるのは、アブラハムのどこが「原型」となっているか、という点です。そし
て、ステファノすなわち「異邦人伝道に踏み出そうとしている教会」の「原型」
解釈が使徒言行録7:2〜8です。それは、従来のユダヤ教の解釈と大いに異なる
ものでした。
それでは、ユダヤ教の解釈はどのようなものだったのでしょうか。ユダヤ教
におけるアブラハムは、単にイスラエルの血統的な意味での祖先に止まるもの
ではなく、最初の「改宗者」であり、「宣教者」でした。要するに最初のユダ
ヤ教徒ということです。なぜか? それは、彼が、まだ書かれていない律法を
完全に守り、罪なくして義とされたからです。それゆえ、彼は徳のある人であ
り、伝説によれば、10の誘惑に勝った、とされます。その徳の報酬として、ア
ブラハムは、神の約束と契約の受け手とされ、その子孫に、イスラエルの特権
をもたらしました。以上が、ユダヤ教のアブラハム解釈です。
このユダヤ教のアブラハム解釈を、当時のユダヤ人はもちろん、ルカも、そ
してステファノの教会も熟知していたことでしょう。その上で、ひっくり返し
ます。創世記の示す「事実」と違って、アブラハムは、まだメソポタミアにい
るときに「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」との命令を
神から受けたとされます。アブラハムはその命令に従ってハランに行きました。
以後、アブラハムは、神の指示通りに動く人物となります。注意して読むと分
かるとおり、4節の中途以降は、すべて神が主語です。神はアブラハムをハラ
ンから「今あなたがたの住んでいる土地」カナンに移されました。そして、土
地も子どもも与えず、「土地を与え、子孫に相続させる」との約束だけ与えま
した。しかし、その成就は、子孫の400年に亘る奴隷生活の後だ、ということ
です。しかし、その約束のしるしとして、割礼による契約を与えた、というわ
けです。要するに、アブラハムはまず約束だけ与えられ、そしてそれに「はい
はい」従った人物なのです。
一見、ユダヤ教の解釈とたいして違わないように見えるかもしれません。し
かし、決定的な違いは、ユダヤ教解釈にあった「律法を完全に守って」云々が
一切欠落している点です。ゆえに、アブラハムの徳は不明確であって、アブラ
ハムの徳の故の、イスラエルの「特権」まで話が進みません。ユダヤ教から見
てこの解釈は、アブラハムを貶めるものとして、かなりの議論を呼ぶこととな
るのではないでしょうか。波乱を予感させる弁論の出だしでした。
(この項、続く)
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