2015年01月11日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第13回「使徒言行録5章33〜42節」
  (12/12/2)(その3)
(承前)

 それゆえ、ガマリエルの弁論は、使徒たちの当面の解放には役立ちましたが、
それ以上のものではありませんでした。

39節後半〜42節「一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イ
エスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たち
は、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院
から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについ
て福音を告げ知らせた。」

 39節の「従い」も「ペイソー」です。ファリサイ派自身も、実は偉い先生を
「ペイソー」しているだけであることを暴露してしまいました。サンヒドリン
の議員たちも、「自分の思い込み」の中で右往左往しているだけだったのです。
 一方の使徒たちは、イエスを信仰していましたから、解放を喜ぶだけではな
く、むしろ、イエスと苦しみを共にしたことを喜びます。そこには、十字架で
ご自身をお示しになられたイエスへの信仰がありました。
 私たちも、単なる自分だけの「思いこみ」に止まるのではなく、イエスを信
じる「信仰」に生きましょう。

(この項、完)


第14回「使徒言行録6章1〜7節」
  (12/12/9)(その1)

1節「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘ
ブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。」

 「そのころ(エン・タイス・ヘーメライス・タウタイス)」というあいまいな
時間表示は、ルカが好んで用いる語法です。クリスマスが間近ですので、クリ
スマスの物語の話をします。クリスマスの物語の中でも、ルカはこの表現を二
度用いています。一つは、エリサベトとマリアが出会う場面(1:39)、もう一つ
は、皇帝アウグストゥスの住民登録命令が発令されて、いよいよイエス誕生の
時を迎える場面(2:1)です。すなわち、ルカがこの語を使用する場面をよく見
ると、あいまいはあいまいなのですが、この語を使って、新しい場面を用意し
ていることが分かるのです。クリスマス物語で言うと、エリサベトとマリアの
妊娠が、二人に共有されるようになる場面、いよいよ救い主イエスの誕生が顕
される場面の始まりにおいて、「そのころ」という語が使われています。
 そして、以上の予備知識を持って、使徒言行録を見ることと致しましょう。
使徒言行録では、前回の時は触れなかったのですが、実は、「そのころ」が使
われるのは、二回目です。一回目は、1:15でした。ペトロを中心にエルサレム
でキリストを信じるユダヤ人が集まり、十二使徒の補充を選任した場面で使わ
れました。ここからエルサレム教会の歩みが始まり、ペンテコステを経て、教
会の宣教活動がなされ、教会が二度にわたる裁判も耐え抜いたところまできま
した。この間「そのころ」がありませんでしたので、ルカによれば、1:15から
ここまでが、教会の歩みの第一期なのです。そして、6:1で、二度目の「その
ころ」が登場しました。第二期の始まりです。では、第二期はどのような期な
のか、私たちは期待をもって次を読み進めたいと思います。それはなかなか波
乱含みの期のようです。どんな期なのか、そして、それは、第一期とどのよう
に違うのか、その点に注目しながら、意識しながら、読み進めてまいりましょう。

1〜6節「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、
ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、
仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をす
べて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事
の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、
W霊Wと知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せ
よう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することとします。』一同は
この提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、
プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコ
ラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を
置いた。」

 第二期は一つの事件から始まります。教会の中に、今まで明らかにされてい
ませんでしたが、実は「ギリシア語を話すユダヤ人(原文はヘレニスト)」と、
「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」とがいて、この両者の間にトラ
ブルがあったのです。どんなトラブルかと言えば、教会は生計を一つとしてい
ましたので、日々の分配、食事の分配のことでした。その食事の分配で、ヘレ
ニストのやもめが不公平を受けている、という苦情がヘレニストたちから出て
いる、というものでした。
 さあ、どうしましょうか。使徒たち、すなわち、イエスの教えを受け継ぐ十
二人の登場です。十二人は、弟子たち、それは信者がイエスの弟子たちという
ことですが、を皆集め、2節から4節にわたる提案を致します。

(この項、続く)



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