2014年12月21日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第12回「使徒言行録5章12〜32節」
(12/11/25)(その2)
(承前)
そして、ペトロを始めとする使徒たちが、終末の主を指し示した証拠として、
ルカは「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった」という
報告を入れています。ルカらしくない報告に見えるかもしれません。しかし、
この一文をもって、使徒たちの働きの性格が明らかとなるのです。終末の主が
来られる時、人々は、必ず受け入れる者と拒否する者の二つに分かたれるので
す。
さて、こうして、使徒の働きの性格が明らかにされた上で、事件の報告に入っ
てまいりましょう。
17〜28節「そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々はみな立ち上がり、
ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。ところが、夜中に主の
天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、『行って神殿の境内に立ち、この
命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と言った。これを聞いた使徒たちは、夜
明けごろ境内に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間が集まり、最高法
院、すなわちイスラエルの子らの長老会全体を召集し、使徒たちを引き出すた
めに、人を牢に差し向けた。下役たちが行ってみると、使徒たちは牢にいなかっ
た。彼らは戻って来て報告した。『牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、
戸の前には番兵が立っていました。ところが、開けてみると、中にはだれもい
ませんでした。』この報告を聞いた神殿守衛長と祭司長たちは、どうなること
かと、使徒たちのことで思い惑った。そのとき、人が来て、『御覧ください。
あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています』と告げた。
そこで守衛長は下役を率いて出て行き、使徒たちを引き立てて来た。しかし、
民衆に石を投げつけられるのを恐れて、手荒なことはしなかった。
彼らが使徒たちを引いて来て、最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。
『あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それ
なのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責
任を我々に負わせようとしている。』」
ソロモン回廊に集まっていた使徒たち(12節)、たぶん教えていたのだと思わ
れますが、大祭司とその仲間のサドカイ派の反感を買い、捕らえられて、再び
裁判が行われることとなりました。17節以下、次回の聖書テキストに亘って、
42節までが、その裁判の記録です。今度はどのような裁判だったのでしょうか。
裁判の結末は、次週に譲ることとして、裁判の経過を見ていきましょう。
使徒たちは捕らえられて「公の牢(18節)」へ入れられました。これは、4:3の
「牢」と同じで、既決囚の入る牢ではなくて留置場です。ところが、夜中に不
思議なことが起こりました。主の天使が顕れて、彼らを解放してくれたのです。
とは言え、天使は「早く遠くへ行きなさい」と指示したのではありませんで、
捕らえられた所、神殿の境内の、おそらくソロモンの廊へと戻るように指示し、
しかも、逮捕前と同じように教えるように言うのです。そんなことをしたら、
また逮捕されてしまうのではないでしょうか。
さて、召集されたサンヒドリン、最高法院、別名が「イスラエルの子らの長
老会」です、では、不思議な牢抜けが発覚して大慌てとはなります。特に、看
守である神殿守衛長は、自分の首が飛ぶのではないか、と戦々恐々です。が、
逃亡者が逃げずに元いたところで教えているので一安心、再び捕らえて、サン
ヒドリンに引き立てた、というところまでが、26節までの部分です。
案の定、結局は裁判が始まるのです。そして、問題となっているのは、前回
と同じく「イエスの名によって語ること」でした。しかし、前回の「判決」を
踏まえて、「イエスの名によって語ること」の禁止命令(4:18)に対する違反が
直接には問われることとなったのです。
この裁判の経過を見て、だれでも思うことは、この裁判は前回の裁判と大変
よく似ている、ということではないでしょうか。場所も同じサンヒドリンです
し、訴追の内容も一緒です。そこで、聖書学者の間では、一つの有力な意見と
して、行われた裁判は一つであった。ルカがそれを二度に分けて、つまり二回
行われたかのように記したのだ、というものがあります。何しろ「装飾のルカ」
ですから、大変魅力的な意見です。
しかし、私は、裁判は二度行われた、と考えています。人を訴追しようと考
え、しかも実行する人間は大変にしつこいのです。所謂ストーカーです。簡単
にはあきらめません。イエスに対して示されたユダヤ教当局者の恨みは、そう
簡単には消えないのではないでしょうか。残党を一人残らず抹殺しようとさえ
するのです。そして、裁判を重ねれば重ねるほど、その訴追に対抗するのは、
より困難となってくるのではないでしょうか。実は、今回の裁判の方が、前回
のものよりも、使徒たちにとってより困難なものであったと考えられます。
(この項、続く)
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