2014年12月07日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第11回「使徒言行録5章1〜11節」
  (12/11/18)(その2)
(承前)

 ところが、売却したあと、何の理由か定かではありませんが、これは、後の
時代の人が様々に推測していますが、それらは皆、推測に過ぎません、いずれ
にせよ、教会へは、代金の一部、何パーセントか、それも分かりません、だけ
を持って来て、しかも、何も言わずに、つまり「全部である」と見せかけて、差
し出したのです。
 これはいけません。提供すると申し出たものの一部を自分のものとしてしまっ
たからです。当時の教会では、旧約の律法がそのまま生きています。そうする
と、十戒の第8戒ないし第10戒に禁じられている窃盗にあたります(出エジプト
記20:15ないし17)。窃盗罪の場合は、代償をもって償わねばなりません(出エ
ジプト記21:37以下)。しかし、窃盗の相手は教会、しかも献げ物をちょろまか
したということですから、相手は神であり、ヨシュア記7章の事例が適用され
ることとなります。ヨシュア記7章の事例とは、次のようなことです。イスラ
エルがエリコを占領した際、「すべてのものを滅ぼしつくすように」との神の
命令が出たにもかかわらず、アカンという人物が、分捕りものの一部を盗み
取っていたケースです。アカンは、神のものを自分のものとしたゆえに罪を問
われました。このケースがアナニアについても適用されることとなりました。

3〜6節「すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を
奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないで置けば、あ
なたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになった
のではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を
欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』この言葉を聞くと、アナニアは倒れて
息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上
がって死体を包み、運び出して葬った。」

 ヨシュア記のケースにおいては、モーセの後継者ヨシュアが神の霊を受けた
者(申命記34:9)として、つまり神の代理として、判決を言い渡し、刑の執行も
指示します。あくまでも代理です。教会の時代に入ると、使徒の代表としての
ペトロが、ヨシュアの役を務めることとなります。ペトロは、罪状を読み上げ、
結果的に判決を言い渡すこととなりました。
 刑の執行は、ヨシュア記のケースにおいては、イスラエルが執行しました(ヨ
シュア記7:25)。しかし、教会においては、神ご自身が執行されました。裁き
をなさるのは、あくまでも神ご自身である、との主旨がより明確にされている
のです。
 さて、ヨシュア記のケースと同じく、神からの窃盗罪の罰は、家族にも及ぶ
こととなりました。

7〜11節「それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに
入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれ
これの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は『はい、その値段です。』と
言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何とし
たことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来
ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』すると、彼女はたちまちペトロの
足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見
ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に
恐れた。」

 アナニアの妻は、この事件にどの程度関わったのでしょうか。1節では、妻
の名が「サフィラ」と紹介されています。が、サフィラという名に対応するヘ
ブライ語の名はありません。また、新約聖書全体でこの名を持つ女性は、ここ
にしか出てきません。よって、アナニアの場合と異なり、ルカがこの名に、特
別の意味合いを持たせたとは考えられません。本名だったのでしょう。また、
ルカは1節で、この女性の名を「サフィラ」と紹介しておきながら、7節では
「アナニアの妻」に戻ってしまっています。「普通の」妻であったということ
です。
 よって、彼女の役割も、ヘロディアの場合(マルコ6章)とは大いに異なり、
「共謀した」とか「実は首謀者であった」ということではなかった、と考えら
れます。翻訳は、このことを正しく捉えていません。1節の「相談して」は、
原文にないことを訳し出してしまっています。原文は「共に」としか書かれて
いません。9節の「示し合わせて」も原文のニュアンスを壊してしまっていま
す。原文は「共鳴する」という意味を持つ語です。「(夫の言うことに)同意し
て」という訳が適切です。結局、2節で言われているように、夫のなそうとし
ていることを「承知の上で」いた、ということです。あくまでも、計画は夫が
しました。よき妻である彼女は、夫がしようとしていることを聞いて、それで
も家庭の調和を第一として、夫に従ったのです。夫の悪事を止めなかった事に
ついては、彼女は責められねばならないかもしれません。しかし、首謀者でな
いことはもちろん、当時の「家父長制社会」を考えあわせると、共謀の罪も適
用されにくいケースと考えられます。

(この項、続く)



(C)2001-2014 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.