2014年11月30日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第10回「使徒言行録4章32〜37節」
  (12/10/28)(その3)
(承前)

 2:20では、本日のテキストと似たところですが、よく見ると、教会の信仰生
活、それには神殿詣も含まれます、そして共同の食事が、ここは明らかに「人
に喜ばれていた」ケースです。しかし、4:33においては、教会が「復活の主を
宣べ伝えることにおいて、神に喜ばれていた」すなわち、「神の恵みを得てい
た」と受け取るべき、つまりルカはそのように「カリス」を用いている、と考
えられるのです。その神の恵みの結果として、財産共有の生活があったのです。
 実際の財産共有の生活は、先ほど触れたように、欠点、限界を持つものであ
りました。唯一の頼りである不動産売却についても、教会の中でそもそも不動
産を所有していたのは、バルナバと、5章に出てくるアナニアとサフィラ夫婦
の二人(三人)だけだったのではないか、と私は考えています。でも、一時的な、
いや一時的どころか瞬間的なもの、そしてたまたま諸条件が整えられてできた
だけのものであったとしても、この財産共有の生活は、復活の主の恵みによる
ものだったのです。なぜでしょうか。
 復活の主の与えたもう恵みには、二つのものが含まれます。一つは、この世
の王たるべき方が与えてくださる恵み。ここでは、使徒が「財産管理者」とし
て、つまり教会の「管理者」として立てられたことがあげられるでしょう。そ
して、第二は、終末の主から与えられる恵み。それが、神の国の共同の食卓で
あったのです。四福音書にもれなく触れられているように、イエスさまは、
 「五千人の供食」において、神の国の先取りとして、すべての人に漏れなく、
満腹を提供してくださいました。今、初代教会にて、その供食がまがいなりに
も実現したということなのです。
 ですから、「教会共産制」においては、その制度を整えることよりも、この
神のみ業のために、「持っている者」が自分の持ち物を献げることが大切なこ
ととされるのです。バルナバはそのように実行しました。

36〜37節「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ―「慰めの子」と
いう意味―と呼ばれていたキプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、
その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」

 32節に戻りますが、ここで「共有」と訳されている語、原語は「コイノス」
ですが、「聖なるもの」に対して「俗なるもの、」「汚れたもの」という意味
さえ持っている語です。バルナバは、不動産売却代金を聖別して神殿に献げた
訳ではありません。そのまま、皆のために提供したのです。所謂、神に喜ばれ
ると考えられる「聖なるもの」ではなく、皆に喜ばれる「俗なるもの」を献げ
ることも、神に喜ばれる、神のみ業のために役立つものとして用いられる、そ
ういう新しい時代が、来たのだ、ということをルカは言いたいのかもしれませ
ん。どのような献げ物も神は用いてくださいます。私たちも、献げることを通
して主に仕える者でありたい、と願うものです。

(この項、完)


第11回「使徒言行録5章1〜11節」
  (12/11/18)(その1)

5章1〜2節「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を
売り、妻も承知の上で、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足
もとに置いた。」

 前回、10月28日の続きです。
初代教会での話ですが、教会は、祈りにおいて心を一つにしていたばかりでは
ありませんでした。日常生活においても、「心も思いも一つ、」その一致は財
産の共有にまで及んでいました。さらに、この初代教会のささやかな業の中で、
ペトロを始めとする使徒たちが、教会の実際の管理責任者として立てられ、そ
の上、神の国の供食の先取りも体験されていた、ということです。
 ところが、教会の歩みがまだ始まったばかりだというのに、その「一致」が
壊されるという悲しい出来事が起こったのです。今日は、その出来事の記録で
す。
 アナニアとサフィラという夫婦がおりました。アナニアという名は、ヘブラ
イ語では、「ハナンヤ」ないし「ハナニア」、「主は恵み深い」という意味の
名で、当時はどこにでもある名でした。ですから、今日の登場人物にして、主
役の『実名』であったかもしれません。しかし、旧約聖書においては、この名
を持つ人物が11人登場します。その11人の中、もっとも有名な人は、預言者エ
レミヤと対決した「偽預言者」でした(エレミヤ書28章)。ルカは、そのことを
意識して、「神の名を唱えながら、神のみ心に逆らう人物」の名として、本日
の主人公にその名をあてがったと考えられないこともありません。要するに、
アナニアは、偽預言者ハナンヤと同じことをしたのです。
 すなわち彼は、忠実な「教会の信徒」を装っていました。数少ない不動産所
有者として、その不動産を売却して、その代金のすべてを教会の共同金庫に入
れることを約束しました。そして実際に不動産を売却しました。そこまでは
「信徒の模範」「信徒の鏡」でした。

(この項、続く)




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