2014年11月02日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第8回「使徒言行録4章1〜22節」
(12/10/14)(その3)
(承前)
ここは、ペトロのたどたどしい間違いだらけの引用が残った、と考えられる
のではないでしょうか。だとすると、ペトロは、たどたどしい言葉で、イエス
に対する信仰告白をしたに止まらず、旧約聖書の引用による証明まで、たとえ
間違いだらけだったとしても、行って見せたのです。
あのペトロがここまで言えた、ということが、聖霊の導きであり、奇跡なの
ではないでしょうか。美しい表現ができたわけではありません。「最も言いに
くいことを、最も言いにくい場で、ともかくも言えた」ことが奇跡なのです。
サンヒドリンのメンバーの反応はどうだったでしょうか。
13〜22節「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二
人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者で
あるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っ
ているのを見ては、一言も言い返せなかった。そこで、二人に議場を去るよう
に命じてから、相談して、言った。『あの者たちをどうしたらよいだろう。彼
らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡ってお
り、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に
広まらないように、今後あの者によってだれにも話すなと脅しておこう。』そ
して、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしない
ように命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなた
がたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、
見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。』議員や他の者たち
は、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美し
ていたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか、わからなかったからである。
このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。」
ペトロは、イエスを主であると告白するという、サンヒドリンでは最も言っ
てはいけないことを言いました。しかし、それにもかかわらず、ペトロは有罪
とされることなく釈放されました。なぜでしょうか。それは、サンヒドリンの
メンバーが、しるしと、そしてペトロに起こった奇跡に圧倒されたからである、
とルカは説明しています。しかし、実際は、しるし以上に、あの無学な、弱い
ペトロが信仰告白をしたことがインパクトを与えたのではないでしょうか。
とは言え、「イエス否定」というサンヒドリンの姿勢が変わったわけではあ
りませんから、「今、有罪にするのはまずい」という政治判断にすぎないのか
も知れません。それでも、とにもかくにも、教会の存在を認知させた効果はあ
りました。
ペトロの無力さ、弱さにも拘わらず、いやむしろその弱さゆえに、神のなさ
れたしるし、そして奇跡は確かな痕跡を残しました。私たちも、弱さの中にあっ
てこそ、神の大いなる力の助けを求めてまいりましょう。
(この項、完)
第9回「使徒言行録4章23〜31節」
(12/10/21)(その1)
23節「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たち
の言ったことを残らず話した。」
過ぐる週、先週は、ペトロやヨハネがサンヒドリンで受けた取調べについて
学びました。サンヒドリンの全員が招集され、イエスの裁判の時と同じ状況が
再現されました。「イエスを裏切った」という過去を持つペトロにとって、こ
れは「もっとも起こって欲しくない状況」でした。おそらく、足の振るえが止
まらなかったのではないか、と想像されます。
しかし、この最悪の状況の中で、言いたいことの一つでも言うことが困難な
状況の中で、ペトロは何と、イエスの名を言挙げし、しかも「イエスは救い主
である」と告白したのです。たどたどしい言葉であったに違いありません。し
かし、おそらく旧約聖書詩編118編の引用までして、必死でその証明をしよう
としたのです。
まさに奇跡です。あのペトロがそこまで言えた、ということに、さすがのサ
ンヒドリンのメンバーも圧倒されたのではないでしょうか。釈放(せざるをえ
ない)という処分を受けて、ペトロとヨハネとは、「仲間」のところへ、すな
わち教会へ行き、「祭司長たちや長老たちの言ったこと」、すなわち裁判の経
過を残らず語ったのです。
しかし、ここで言われている「祭司長たちや長老たちの言ったこと」とは何
を指すのでしょうか。ある註解者は、サンヒドリンが二人に課した禁令(18節)
のこと、と解釈します。しかし、もしそうだとすると、この後の教会の議論は
「迫害状況にどう対応するか」に絞られることになるのではないでしょうか。
(ルカの描く「理想像」と異なり、教会はまだ「吹けば飛ぶような存在」に過
ぎないのです。)が、実際に語られたことはそれではありませんでした。
(この項、続く)
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