2014年10月19日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第7回「使徒言行録3章11〜26節」
(12/10/7)(その3)
(承前)
最初の旧約聖書の引用(22〜27節)は、本日の旧約聖書、申命記18:15、19
からの引用です。モーセは、自分の後に預言者が続くこと、そして「それに聞
け」と、つまり旧約聖書の預言者のことを言ったのですが、この言葉は後に、
ユダヤ教時代に、「メシア的預言者」、すなわち、終末のときに神が遣わされ
る預言者のことを指す、と受け止められるようになりました。ルカは、そのユ
ダヤ教の解釈を受け継いでいます。
さらに、25節の引用は、創世記22:18のLXXに近い文となっています。こ
こは、本来のヘブライ語聖書原文では、「あなたの子孫とともに、地のすべて
の国民は自分たちで祝福し合うであろう」という意味でした。ここについても、
ルカは、ヘブライ語原文ではなく、LXXを踏まえて引用しました。子孫がす
べての民を祝福する、というのです。
このような旧約聖書の引用の仕方は、ペトロにできる芸当ではありません。
ルカが、当時のユダヤ教の旧約聖書研究を踏まえて、二つの旧約聖書箇所を結
び付け、「モーセの子孫から終末の預言者が出る。この方からすべての民が祝
福を受ける。この方こそ、イエス・キリストである」というメッセージを受け
取って、それをペトロの口を通して、表現したのです。
21節は、旧約聖書のどこが典拠なのか不明なのですが、ルカが、旧約聖書研
究から、「そのイエスは、昇天後、終末の時まで天におられ、そして再臨され
る」とのメッセージを受け取った、その表現と思われます。
そこで、イエスが終末のメシアであるとすると、イエスに聞き従う者は救わ
れますが、聞き従わない者は、滅ぼされることとなります。ダニエル書1章に
預言されているとおりです。それで、ルカは、申命記18:19、そこには「(預
言者に)聞き従わない者には、わたし(神)が責任を追及する」とあったのを、
棄て、ここだけレビ記23:29、しかし「この日に苦行しない者は」を「終末の
メシアに聞き従わない者」に取り換えて、の後半、「民の中から絶たれる」の
み引用してつなげたのです。非常に複雑な手続きを経て、旧約聖書の言葉が組
み替えられています。
こうしてルカは、旧約聖書の言葉を用いつつ、終末の「死の恐怖」を盾に、
悔い改めてイエスを信じることを迫ったのです。
さて、このペトロの、実はルカの説教を通して、どれだけの人が悔い改めた
のでしょうか。イエスを「終末のメシア」と捉えている限りにおいて、たとえ
それがユダヤ教の期待に根差していたとしても、いや根差している限りにおい
て、限界があったのではないでしょうか。
教会は、イエスを、終末のメシアとしてではなく、「救い主」として受け取
るときに、力を得ることとなるのです。それまで、忍耐の時です。
(この項、完)
第8回「使徒言行録4章1〜22節」
(12/10/14)(その1)
1〜4節「ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、
サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者
の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日
まで牢に入れた。すでに日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉
を聞いて信じた人は多く、男の数で五千人ほどになった。」
3:11〜26は、ペトロの手によってなされたしるし、足の不自由な人が癒され
た出来事についての、ペトロの口による説明でした。その癒しが、イエスの名
によって成されたことと、イエスが「終末の主」であることが説明されました。
そこで、説明はともかくとして、人々は、しるしに反応を示すこととなりま
した。一方では、しるしに圧倒されて、ともかくイエスを信じて教会に加わっ
た者がおりました。
ルカはその数を男だけで5,000人と報告しています。が、「5,000」という数
は、「5,000人の供食」の奇跡の物語に見られるごとく、「たくさん」という
意味でしかありません。「たくさん」とはいったいどれくらいなのでしょうか。
見当が付きません。一人だったかもしれません。一人でも、「たくさん」なの
です。何人かはわかりませんが、とにもかくにも「たくさん」の人が教会のメ
ンバーに加えられました。
もう一方に、ユダヤ教サドカイ派の人々がいました。彼らはいらだち、ペト
ロとヨハネを捕らえてしまいました。サドカイ派は復活を否定しますから、あ
りそうな出来事です。それで、彼らは祭司たちとともに、もっとも祭司たちは
サドカイ派ですが、二人を牢に入れてしまいました。
ただし、「牢に入れる」ことは、有罪と決まった者に対してなされる措置で
す。後の経過(18節)とは矛盾します。「牢に入れた」と訳されているところ、
直訳すると「留置場に放り込んだ」となりますが、その方が事実を正確に表し
ているかもしれません。
さて、こうして二人に対する裁判が開かれることとなりました。ところがそ
れは、何とサンヒドリンの全員が召集される裁判でした。
(この項、続く)
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