2014年10月12日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第7回「使徒言行録3章11〜26節」
  (12/10/7)(その2)
(承前)

 そこで、しるしが示された後、正しいうけとめ方をするように、説教が続く
こととなります。今回も語り手はペトロです。しかし、説教の内容、文体、ど
ちらを取って見ても、ガリラヤの一漁師であった人物のものとはとても思えな
いものです。明らかにルカの手が入っています。が、だからと言って、説教の
価値そのものが減ずるわけではありません。ペトロが、おそらく、言葉足らず
でたどたどしく語ったことを、ルカが整え、さらに意味づけして、今日残る形
で伝えたものと考えられます。
 説教は、前半部分で、なされたしるしの意味について語ります。

12〜19節「これを見たペトロは、民衆に言った。『イスラエルの人たち、なぜ
このことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、
この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。アブラ
ハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエス
に栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、
ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖な
る正しい方を拒んで、人殺しの男を許すように要求したのです。あなたがたは、
命の導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活
させてくださいました。わたしたちはこのことの証人です。あなたがたの見て
知っているこの方を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信
仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがたの目の前でこの人を完全
に癒したのです。ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまっ
たのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、私はわかっています。し
かし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、
このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、
悔い改めて立ち帰りなさい。』」

 ペトロはまず、この癒しが、自分自身の力や信心(敬虔)によってなされた
ものではないことを言います。では、だれの力によって? それは、イエス・
キリストの名によって成されたことをペトロは宣言します。しかし、イエス・
キリストの名が何ゆえ、障碍を癒すという業をなしうるのか、説明されねばな
りません。
 そして、この説明には、ペトロの、十字架と復活の主との出会いが根底にあ
ることが明らかとされます。
 よみがえりのイエスに出会って、イエスのご栄光の姿に触れたペトロ、そし
て弟子たちは、改めて、イエスの受難、十字架の意味について問い直しました。
なぜなら、本来ならば、義人は苦難に遭うはずがないからです。
 しかし、そこで示されたのが、イザヤ書52、53章の「苦難の僕」の預言でし
た。この世に神のみ心を伝えるため、神から遣わされた神の僕は、受け容れら
れることなく、打ち捨てられる、というものです。確かに、その言葉が正しけ
れば正しいほど、人は反発し、抵抗し、時には、その正しい人を殺しさえする
ことがあるかも知れません。イエスはその「神の僕(13節)」だったのです。
預言どおり、ユダヤ人はイエスを殺してしまったのです(15節)。
 が、それにも拘わらず、神はイエスをよみがえらせました。それゆえ、イエ
スには神の力、「命の導き手(15節)」としての力が与えられているのです。ゆ
えに、イエスの名によって願う者には、イエスの命の力が与えられます。これ
が、イエスの名によって、イエスを信じる者に、癒しが与えられた理由なので
す。
 ペトロの本来の説教は、これに、「悔い改めの勧め」が添えられて(17〜19
節)、締めくくられたものだったと考えられます。しかし、使徒言行録の著者
ルカの立場からすれば、この癒しが「終末のしるし」であることが証明されね
ばなりません。そこで、ここからはおそらくはルカの手になるものと考えられ
る、旧約聖書を引用しての証明がなされることとなります。

20〜26節「『こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのため
に前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。
このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新
しくなるそのときまで、必ず天に止まることになっています。モーセは言いま
した。「あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、私のような
預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞
き従え。この預言者に耳を傾けない者は、民の中から滅ぼし絶やされる。」預
言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げてい
ます。あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契
約の子です。「地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を
受ける」と、神はアブラハムに言われました。それで、神は御自分の僕を立て、
まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人
一人を悪から離れさせ、その祝福に与らせるためでした。』」

(この項、続く)



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