2014年09月21日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第5回「使徒言行録2章37〜47節」
  (12/9/23)(その3)
(承前)

 教会の礼拝生活だけでなく、信徒の日常生活にも触れられています。
礼拝生活においては、「使徒の教え」が読まれ、唱えられていました。新約聖
書がまだ編集されていないこの段階においては、十字架と復活についての使徒
の証言が、聖書の役割を果たしていたのでしょう。「パンを裂くこと」、明ら
かに、最後の晩餐に倣った、たとえまだ形は整ってはいなかったとしても、聖
餐式につながる供食が行われていたと考えられます。そして、祈りと賛美です。
現代の教会に受け継がれているものと全く同じです。
 日常生活においては、すべてのもの(財産)を共有し、財産や持ち物を売り、
おのおの必要に応じて、分け合っていました。よく整った共同生活を営んでい
たように見えます。が、教会は、クムラン教団のように、修道院を形成して、
自給自足の生活をしていたわけではありませんでした。当時の教会は、神殿税
も払わなければならない状況の下にありました。教会を支えながら生きていく
ためには、共同生活を営んで経費を節減する必要に迫られていたのかも知れま
せん。パウロも、テント作りの仕事をしながら、伝道を支えました(使徒言行
録18章)。しかし、たとえ、必要に迫られてであったとしても、教会において、
家族、部族を超えた神の国の供食が体験されていたのです。
 未だ、完全には、ユダヤ教の制度から解放されてはいません。しかし、それ
でも、家族、部族を単位として神殿に集まるのではなく、神の国の教会に神の
国の家族として集まる歩みがスタートしたのです。
 さて、新共同訳聖書では、「使徒言行録」と名付けられている「この書」で
すが、原題を「プラクセイス・アポストローン」、そのまま訳すと、「使徒の
諸行為」となります、と言います。不思議な題です。「プラクセイス」、単数
形では「プラクシス」は、この書の題名とされるには、問題の多い語です。
 「プラクシス」という語は、英語では「Act」と訳されるごとく、「ごく普
通の行為」をさす言葉です。事業の事も「プラクシス」と言いますし、性行為
のことも「プラクシス」と言います。さらには、新約聖書でこの語はこの書の
表題も含め7回、含めないと6回用いられていますが、その6回は、全部悪い
行為の意味で用いられています。使徒言行録では、本文では、19:18で、一回だ
け用いられていますが、そこでは、この語は、魔術師の悪い行為を指していま
す。
 だとすると、この使徒言行録には、使徒たちの「悪い行為」が記録されてい
るのでしょうか。使徒たちがなしたのは、神によって託された、素晴らしい
「不思議な業」と「しるし」だったのではないでしょうか。
 そこで、「プラクセイス・アポストローン」は、間違ってつけられた、とん
でもない題である、と考える人も多くいます。しかし、もしそうではないとす
ると、一体いかなる意図があって、このような題が付けられたのでしょうか。
 唯一の可能性として、この書には、使徒の神の業の担い手としての良い働き
と共に、日常の何気ない働きも記されていますよ、という意味なのではないか、
と考えられます。もし、そうだとすると、本日のテキストは、この書の表題に
最もふさわしいものということになります。
 使徒の働きは、神の業の担い手としての良い働きであると共に、実は、「や
むを得ず」、「とりあえず」の日常生活でもあったのです。その両方が、神に
献げられ、教会の働きのために献げられていた、この不思議な表題には、そこ
までのメッセージが込められていた、と考えられるのです。
 私たちも、すべての業を通して、神に仕える者でありたい、と願うものであ
ります。

(この項、完)


第6回「使徒言行録3章1〜10節」
  (12/9/30)(その1)

1節「ペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時に神殿に上って行った。」

過ぐる週は、ペンテコステの日に何が起こったのか、について学びました。
神の霊が降り、み名を呼ぶ者が救われる、終末の出来事が始まりました。そ
の結果、たとえささやかではあったとしても、改宗者が起こされ、イエス・
キリストの名による洗礼をもって、神の国の教会の歩みが始まったのです。
 さて、神の国の教会の歩みは、最初は秘められたものであったとしても、
秘められたままで終わることはありませんでした。神の救いのご計画の実現
のために、神の国の教会の存在は徐々に明らかとなってまいりました。しか
し、その存在が明らかとなって来たとしても、すべての人が畏れをもって神
に心を向けるわけではありません。無関心の人もいます。神の国の建設に反
対する抵抗勢力も公然と活動を開始するのです。
 エルサレムにおいて、神の国の教会としてのエルサレム教会の存在が明ら
かとなったとき、それは、実は、迫害の始まりでもありました。
 その、エルサレム教会の存在が明らかとなった出来事、それが、ペトロと
ヨハネによる「病人の癒し」の出来事でした。

(この項、続く)



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