2014年08月31日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第4回「使徒言行録2章14〜36節」
  (12/9/16)(その2)
(承前)

14節後半〜21節「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っ
ていただきたいことがあります。わたしたちの言葉に耳を傾けてください。今
は朝の9時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように酒に酔っ
ているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言わ
れていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべて
の人に注ぐ。するとあなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢
を見る。わたしの僕や婢にも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼
らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地にしるしを示そう。血
と火と立ちこめる煙がそれだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗く
なり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は救われる。』」

 ペトロか言うところでは、使徒たちが聖霊を受けた出来事は、終末の出来事
の始まりである、ということです。その終末の日の出来事については、すでに
旧約聖書の時代に預言者ヨエルが預言していました。
 預言者ヨエルはどのような人で、預言者ヨエルは終末の日についてどのよう
な預言をしたのでしょうか。預言者ヨエルについてはヨエル書1:1に、「ベ
トエルの子ヨエル」という名が挙がっているだけですので、いつの時代に生き
た人なのかさえ、全く分かりません。
 それゆえ、いつのころのことか全くわかりませんが、ヨエルが生きた時代、
イスラエルにイナゴによる大被害があったようなのです。イスラエルでは、イ
ナゴは食用としても用いられていました。ところが、このイナゴが、時として
大量発生します。そして農作物を食い荒らし、甚大な被害を与えるのです。今
日でも、イナゴの大群が来襲し、一瞬のうちに原野が廃墟となることがある、
とのことです。ヨエルは、イナゴの来襲を、侵略の敵軍が通過した後にたとえ
て、その悲惨な様を述べています(ヨエル書2章)。いかに甚大な被害がもた
らされたか、がよく分かります。
 このイナゴの襲来を見、体験したヨエルは、このイナゴの襲来にはるかに勝
る「全能者による破滅の日(ヨエル書1:15)」、「終わりの日」が近いこと
を預言しました。そして、心からなる悔い改めをイスラエルの民に迫りました。
 しかし、イスラエルの民が悔い改めるならば、その日は、神がイスラエルの
民に憐れみをかけられる日となるはずです。
 もし、そのようになったとき、神はイスラエルの「すべの人」に神の霊を注
がれます。すると、イスラエルの息子、娘たち、すなわち若者たちは預言し、
イスラエルの長老たちは夢を見ます。さらに、若者と記されていますが、従者
のことですが、は幻を見ます。そればかりではありません。イスラエルの全家、
奴隷、女奴隷にも霊が注がれるのです。
 もちろん、終末の裁きはあります。しかし、「主のみ名を呼ぶ者」、すなわ
ち悔い改めるイスラエルの全家は救われるのです。
 とは言え、預言者ヨエルが、終末の裁きを預言しつつ、ここでは同時にイス
ラエルの民だけの救いを預言した、ということは、この後、使徒言行録におい
ては省略されている、ヨエル書4章1節以下があるのです。イスラエルの民の
救いと対照的に、「諸国民の裁き」です。が、ルカは、終末の日の救いを、全
世界の民の救い、すなわち教会に集うすべての民の救いに読み替えました。そ
して、聖霊降臨を、すべての民への神の憐れみの始まりの日と捉えたのです。
 素晴らしいことではないでしょうか。しかし、いかにして、イスラエルの民
だけの救いが、全世界の民の救いへと置き換えられることができたのでしょう
か。それは、イエス・キリストによる贖いの恵みです。よって、説教の後半は、
全世界の民の救いをもたらしたイエスについて述べられることとなります。

22〜36節「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレ
の人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがた
の間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなた
がたに証明なさいました。あなたがた自身がすでに知っているとおりです。こ
のイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえで、あ
なたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者の手を借り
て、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦
しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおら
れるなどということは、ありえなかったからです。ダビデは、イエスについて
こう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの
右におられるので、わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、
舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂
を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。
あなたは命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくだ
さる。』…」

(この項、続く)



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