2014年07月06日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 55回「ローマの信徒への手紙16章21〜23節」
(12/8/5)(その2)
(承前)

 旧約聖書は排除されます。そして新約聖書でも、「預言の成就」といった部
分が一切削除されますから、福音書はルカによる福音書を中心に編集しなおし
たもの、書簡はパウロの書簡のみ、ということになりました。こうして、マル
キオンによって「旧約聖書のない」キリスト教の教義が確立されていきました。
が、そのマルキオンにとってローマの信徒への手紙は、もっともお好みの書の
ひとつであったと考えられるのです。なぜなら、パウロはローマの信徒への手
紙の中で、律法の義を完全否定し、100パーセント、信仰の義によらなければ
救われないことを説いているからです。
 が、そのマルキオンが、ローマの信徒への手紙の中でも、15章と16章を否定
しました。マルキオンによれば、ローマの信徒への手紙は14章で終わるものな
のです。なぜ、15章、16章が余計だったのでしょうか。まず、15章について言
えば、未だに「律法の義」から抜け出せないでいるエルサレム教会をパウロが
命を懸けて守る、という行為そのもの、姿勢が受け入れられなかったからでしょ
う。マルキオンにとっては、旧約聖書にこだわる者は切り捨てていけばいいの
ですみ。そして、16章については、パウロが、終末の裁きを強く訴えているこ
とが気に入らなかったのではないでしょうか。
 しかし、ローマ教会は、そしてキリスト教会は、ローマの信徒への手紙1章、
16章を守りました。それはなぜだったのでしょうか。

22〜23節「この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている
者として、あなたがたに挨拶いたします。わたしとこれらの教会全体が世話に
なっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと
兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。」

 ローマ教会をも含む、キリスト教会の正典の編集作業は、マルキオンの正典
編集に対抗するところから始まりました。それは、ほぼ同時期にユダヤ教で編
集された旧約聖書をそのまま受け入れるものでした。なぜでしょうか。それは、
キリストによる贖いの義が、信仰による義が、イスラエルの歴史を前提とした
ものだからです。神の裁きの前では、誰一人自分の力によっては救われない、
という、イスラエルが直面した現実、それを踏まえてなされた救いの業だから
です。ゆえに、神の救いのご計画は、パウロがローマの信徒への手紙11章で言
うごとく、イスラエルの救いをもって完成するはずなのです。
 ゆえに、ローマの信徒への手紙15章は欠かすことができません。そして、16
章についても、特に異邦人信徒にとって、裁きを忘れた「信仰」が単なる「傲
慢」、異端へとつながってしまう(ここもローマの信徒への手紙11章参照)こ
とへの警告として、欠かすことのできない部分として、教会は受け止めたので
す。それゆえ、本日のテキスト、名前とエフェソ教会への挨拶が記されている
だけの部分も、パウロと、思い、願いを一つにする人々の貴重な証しとして、
そのまま保存されたのではないでしょうか。
 私たちも、異邦人信徒の端くれでありますから、裁きをすっ飛ばして、安っ
ぽい「愛」に流れる傾向を持っています。とりわけ、日本人信徒は、「実はマ
ルキオン教だ」とよく言われます。しかし、神の前で誰一人義なる者はいない。
その罪がいかに深いか、との自覚があって初めて、真の救いがある、というこ
とを平和聖日の今日、新たに覚えたいものです。
(この項、完)


第56回「ローマの信徒への手紙16章25〜27節」
(12/8/12)(その1)

25節「神は、わたしの福音、すなわちイエス・キリストについての宣教によっ
て、あなたがたを強めることがお出来になります。」

 本日のところに入っていくためには、前回お話しした16章部分についての説
明をもう一度お話ししなければなりません。
 ローマの信徒への手紙はそもそもは、15章で終わっておりました。パウロは、
未知なる教会であるところのローマ教会に、信仰の義を説いてきました。その
上で、ユダヤ人キリスト者も決して救いから漏れてはいないことを説きました。
それゆえ、パウロは、これからエルサレム教会に献金を届けに行くのです。そ
の計画を述べたところで、この手紙は終わっていたのです。
 が、この手紙に編集の手が入りました。その第一は「善意の編集」でした。
ローマの信徒への手紙16:1〜23の付加です。ここは、その内容からして、そ
もそもは、パウロがエフェソの教会にあてて書いた手紙の断片である、と考え
られます。そしてそれは、信仰の義によってなされた教会形成の実例として、
さらには、異端への警告として付け加えられました。そして、それは、「編集」
という過程を経たローマの信徒への手紙の一部として受け止められました。
 が、ローマの信徒への手紙には、第二の編集の手が加えられました。が、そ
れは「正しくない編集」でした。マルキオンによるものです。

(この項、続く)



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