2014年06月01日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 52回「ローマの信徒への手紙15章30〜33節」
(12/7/15)(その3)
(承前)

 が、それでも、事はパウロの心配どおり、つまり思惑とは逆の方へと進みま
した。ローマ教会の支援があったという記録は全くありません。パウロはエル
サレムで逮捕されて、囚人としてローマへ護送されることとなってしまいまし
た。
 パウロが自らに課した「ユダヤの同胞の説得」という課題は、21世紀の今
日においてさえ、未だに課題として取り残されたままです。一見、すべてが失
敗に終わったかのように見えるパウロの働きです。が、世界伝道に関しては、
パウロが予想だにしなかった方法と規模て進展することとなりました。
 神の計画の不思議さにおののき畏れつつ、32〜33節を読んで、本日の説教を
閉じることといたしましょう。

32〜33節「こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたが
たのもとで憩うことができるように。平和の源である神があなたがた一同と共
におられるように。アーメン」

(この項、完)


第53回「ローマの信徒への手紙16章1〜16節」
(12/7/22)(その1)

1〜2節「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを
紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者
らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも
助けてあげてください。彼女は多くの事の援助者、特にわたしの援助者です。」

 前回のところで、ローマの信徒への手紙の本体部分は終わりました。
本日から、いよいよローマの信徒への手紙の付加部分に入ってまいります。付
加部分の最初は1〜2節、フェベという女性信者の紹介状です。そして、3〜
16節は、延々と続く「よろしく」の連続です。パウロが一人一人の信徒のこと
を大変によく分かるところです。
 が、どこの教会の信者のことを気遣っているのでしょうか。16章をローマの
信徒への手紙の続きと見れば、当然これらの人々はローマ教会の信徒というこ
とになるのですが、どうやらそうではなさそうです。以下、その理由、そして、
それでは、これらの人々はどこの教会の信徒なのか。そして最後に、他の教会
の信徒であるとすると、よその教会の信徒への気遣いがなぜ、ローマの信徒へ
の手紙の末尾に付けられたのか、の順序で見ていくことといたしましょう。
 最初に、ここにあげられた人々がローマの教会の信徒ではなさそうな理由で
すが、それは単純明快です。パウロは、ローマの信徒への手紙を「ローマ訪問
の願い」を述べるところから始めました。そこには、「何とかしていつかは神
の御心によって、あなたがたのところへ行ける機会があるように、願っていま
す(1:10)」とあり、「…何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨
げられているのです(1:13)」とありました。要するに、少なくともローマ
の信徒への手紙の執筆開始の時点では、パウロは、ローマ教会へ行ったことが
なかった、ということです。
 しからば、執筆終了の時点ではどうなのでしょうか。「募金の成果を確実に
手渡した後、あなたがたのところを経て、イスパニアに行きます(15:28)」
とあり、やはりまだ行っていません。
 まだ、一度も行ったことのない教会に、こんなにたくさんの、そして一人一
人の事情を熟知しているらしい「信仰の友」がいる、ということはあり得るで
しょうか。ありえません。
 よって、ここに登場するのは、ローマ教会の信徒ではない。そして、この部
分はそもそもローマ教会にあてて書かれたものではなかった、ということにな
るのです。
 それでは、この部分はそもそもどこの教会にあてて書かれたものだったので
しょうか。そして、ここに登場する人々はどこの教会の信徒なのでしょうか。
この点については、3〜6節が大変に参考になります。

3〜6節「キリスト・イエスに結ばれて私の協力者となっている、プリスカと
アキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたし
だけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集ま
る教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろ
しく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。あなたがたのために非
常に苦労したマリアによろしく。」

 3〜15節で、15回の(原文では14回の)「よろしく」が続きます。「よろし
く」と訳されていますが、原文に忠実に訳すと、「あなたがたは(だれそれを)
歓迎しなさい(大事にしなさい)」という命令形の文となります。このことか
ら、パウロが、その教会の信徒をよく知っていることはもちろんですが、それ
以上に、この教会はパウロに大変に世話になっている教会、パウロが命令でき
る教会であることが分かります。それはどのような教会でしょうか。パウロが
開拓し、牧した教会ということになるのではないでしょうか。

(この項、続く)



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