2014年05月11日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
51回「ローマの信徒への手紙15章22〜29節」
(12/7/8)(その2)
(承前)
25〜29節「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。
マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい
人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、
実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかっ
たのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこ
のことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがた
のところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふ
れるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思います。」
今お読みしたところから明らかなように、「生きた、聖なるいけにえを献げ
る」とは、ここでは、献金のことです。パウロは異邦人クリスチャンに献金を
献げさせようとしていたのです。しかし、献金となると、どこに何のために献
げるかが問題となります。異邦人教会は、どこに、何のために献金することが
求められたのでしょうか。ローマの信徒への手紙だけでは十分ではありません
ので、使徒言行録、ガラテヤの信徒への手紙の助けを借りて、明らかにしてい
くことといたしましょう。
事は、エルサレム会議に遡ります。エルサレム会議は、使徒言行録15章、ガ
ラテヤの信徒への紙2:1〜10で触れられています。これは、教会の歴史の転換
点となった重要な会議でした。
事の次第は、使徒言行録によれば、こうでした。そのころ、エルサレムとシ
リアのアンティオキアとに教会がありました。エルサレムの教会はユダヤ人の
みの教会、アンティオキアの教会は、異邦人中心の教会でした。そして、アン
ティオキアの教会では、キリストの福音を素直に受け止め、人が救われるのは、
キリストの贖いを受け止める信仰のみによる、として、異邦人信徒に割礼を施
すなどということは、一切いたしませんでした。ところが、そこへ、エルサレ
ム教会から複数の人がやって来て、「異邦人信徒も割礼をうけるように」と言
い出したのです。エルサレム教会では、キリストの福音を受け入れはしたもの
の、信仰の義については十分に理解されていなかったように思われます。当時
アンティオキア教会で活動していたパウロはエルサレム教会に異議を唱えねば
なりません。そこで、パウロとバルナバ、そして数名の者が、アンティオキア
教会の代表としてエルサレムに上り、調整を行うことになった、というのがエ
ルサレム会議なのです。
この会議の結果、エルサレム教会の人々は、異邦人に神の大いなるみ業が働
いていることを確かに確認しました。それゆえ、異邦人クリスチャンに割礼を
強制しないことを認めました。しかし、自分たち自身、ユダヤ人クリスチャン
については、律法から完全に解放されることはありませんでした。ユダヤ人ク
リスチャンは、これからも割礼を受け続ける、ということになってしまったの
です。教会における「弱い人」の出現です。
しかも、使徒言行録によれば、エルサレム教会は異邦人クリスチャンに対し
て、割礼を強制する代わりに、律法の一部を守ることを押し付けました。すな
わち、偶像に供えられた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と血を避
けるようにという、いわゆる「使徒教令」というものです。これでは、異邦人
クリスチャンまで、律法から解放されていないことになってしまいます。
それでは、パウロは、このエルサレム会議の決定にどのように対応したので
しょうか。まず、異邦人クリスチャンへの割礼の強制の廃止を喜ぶと同時に、
「使徒教令」を無視したことと考えられます。なぜなら、このエルサレム会議
についてのパウロ自身の報告、ガラテヤの信徒への手紙2:1〜10でパウロは、
異邦人信徒への割礼の強制はもちろんのこと、「わたしにどんな義務をも負わ
せませんでした(6節)」と言っているからです。すなわち、パウロは、「使徒
教令」を異邦人信徒に守らせる義務を課されることはなかった、と言っている
のです。
が、もう一方で、パウロはこの会議の結果として、異邦人教会が、「貧しい
人々」―これは本当に貧しい人々の事ではなくて、エルサレム教会のことを言っ
ているのですが―、のために献金を献げる義務を負った(ガラテヤ2:10)、と
言っています。この献金こそが、ローマの信徒への手紙15:26で言う、「エル
サレム教会の聖なる者たちの中の貧しい者(これは、実は、エルサレム教会の
自己呼称でした)」への援助だったのです。
この献金はいかなる性質のものだったのでしょうか。異邦人教会が、エルサ
レム教会から割礼強制を免除してもらう代わりに支払う示談金のようなものだっ
たのでしょうか。そうではありません。エルサレム会議の結果逆転をしてしまっ
た関係に基づき、「強い人」異邦人教会から、「弱い人」エルサレム教会に対
する援助だったのです。
パウロは、この献金を一生懸命に集めました。26節にあるように、マケドニ
ア州、アカイア州の教会の人々は協力的でした。が、コリントの教会は最初は
協力的ではなかったようです。すると、パウロは、コリントの教会の人々に以
下のようなことを書きました。
(この項、続く)
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