2014年04月27日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 50回「ローマの信徒への手紙15章14〜21節」
(12/7/1)(その2)
(承前)

 さて、実はここで、パウロの長い長い評論は終わります。その内容は、信仰
の義の時代が来た、ということに尽きるものでした。パウロはこのことを大胆
に述べました。
 そこで、15:14より、パウロが異邦人の使徒として召されたという、その問題
に立ち帰ることとなります(1:1〜5)。長い評論を踏まえて、彼の自身の使命
についての考察は、より深められることとなりました。彼は今は自分の使命を
どのように受け止めているのでしょうか。

16節「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために
祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖な
るものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。」

 以前、自分のことを「異邦人の使徒」と呼んでいたパウロは、ここで自分の
ことを「異邦人の祭司」と呼ぶようになりました。これは一体どうしたことで
しょうか。
 さて、国語辞典で「祭司」という語を引いてみると、「祭典を受け持つ神官」
という説明が出てまいります。どの宗教においても、聖所があり、儀礼が行わ
れていれば、そこに祭司がいるのです。旧約宗教において、一番最初に登場す
る祭司は、創世記14:17以下、サレムの王メルキゼデクでした。サレムに聖所が
あり、そこの王が祭司の務めを果たしていたのだ、と考えられます。
 が、イスラエルの成立と共に、イスラエルの祭司はモーセとアロンの子孫た
るところのレビ族に集約されていきました。このことは出エジプト記28章で定
められ、ヨシュア記によれば、レビ族は、祭司一族ゆえ、嗣業の地は与えられ
ませんでしたが、主に献げられたものをいただく、という特権を得ることとな
りました(ヨシュア記13:14)。
 ところで、レビ族の祭司は実際にはどのように仕事をしていたのでしょうか。
まだ神殿もない時代のことゆえ、モーセ自身もそうであったように、神託を伝
えることが主な仕事だったようです(出エジプト記33:7〜)。
 しかし、ソロモンによってエルサレムに神殿が建造され、後にヨシア王によっ
て神殿儀礼が整えられると、様相が変わってまいりました。祭司の仕事は専ら
神殿の祭儀に仕えるものとなり、そして神殿の祭儀も、「これが公式の祭儀で
ある」として、整えられるようになってきたのです。バビロン捕囚は、実は、
この傾向に拍車をかけることとなりました。捕囚中の祭司を中心とする人々の
努力は、帰還後の儀礼の整備に向けられていたのです。こうして、帰還後の祭
司は、公式の儀礼に仕える公務員のごとき存在となりました。
 しかし、その後、ユダヤ人の世界各地への離散とともに、神殿だけではなく、
シナゴグでの礼拝がユダヤ教の中で大きな位置を占めることとなってまいりま
す。シナゴグでの礼拝は律法の教育が中心です。そこで、ファリサイ派を中心
とする律法学者の働きが、ユダヤ教の中で大きな位置を占めるようになってき
ました。この傾向は、イエス、そしてパウロの時代まで続き、パウロ自身も、
律法学者として神に仕えていたのです。
 そのようなパウロですから、そもそもは自分が祭司の務めを果たしている、
という自覚は全くなかったことでしょう。クリスチャンになってからも、彼は
あくまでも「信仰の義」を伝える伝道者でしたから、祭司としての自覚は見ら
れず、彼の書簡には、ここを除いて、「祭司」という言葉すら出てこないので
す。
 そのパウロが、自分のことを「異邦人の祭司」と呼ぶとは、一体もってどう
したことなのでしょうか。
 このなぞを解くカギは、パウロの長い長い評論の中、12:1〜2にあります。
ユダヤ教の公式の神殿礼拝、それは動物犠牲を献げることによって、神との関
係を取り持とう、とするものでした。ところが、「信仰の義」の時代になって、
礼拝の守り方はすっかり変わりました。少なくともパウロはそのように受け止
めました。礼拝者自らが、自分自身のからだを神に献げるという、人身御供と
いう、旧約宗教以前に戻ったかのような礼拝です。もちろん、人身御供とはいっ
ても、残酷な古代宗教の儀礼とは違います。キリストの、ご自身を献げられて
の憐れみ、ハラワタを痛めるような、子宮を痛めるような憐れみを受けて、礼
拝者自身も、自分自身を「生きた、聖なる供え物」として献げる、そういう礼
拝です。自分自身の体を「奉仕の器」として献げるのです。
 以上が、12:1〜2でパウロが述べている新しい礼拝の在り方です。この新し
い礼拝形式を踏まえ、彼は、自分が「異邦人の祭司」である、と言っているの
です。
 この新しい祭司の役割は何でしょうか。それは、異邦人に自らを犠牲として
献げるように勧めること、すなわち、「奉仕の器」として仕えるように勧める
ことにあります。

(この項、続く)



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