2014年04月06日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
48回「ローマの信徒への手紙15章1〜6節」
(12/6/17)(その3)
(承前)
そこで強調されているのは、キリストの謙虚さです。
「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようと
は思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ
た」とあるとおりです。だとすると、キリストの謙虚さに倣って、「強い人」
は「弱い人」のところまで下りて行きなさい、ということなのでしょうか。
フィリピの信徒への手紙でパウロは、キリストの謙虚さに倣って、クリスチャ
ンは「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手
を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことに
も注意を払いなさい」という勧告を、フィリピ教会の信徒に伝えています。が、
ローマの教会においては、「強い人」は「弱い人」を裁かず、「弱い人」に付
き合う、というところまで、指示が出されています。キリストの謙虚さに倣う、
ということであるならば、ローマ教会の「強い人」は、「先週まで」の指示を
受け止めて実行していれば、十分なのではないでしょうか。だとすると、「強
い人」が「弱い人」を喜ばせることがなぜ必要なのか、そして、それはキリス
トの生涯のどの出来事に倣った、どのような業なのでしょうか。
実は、その答えが、フィリピ2:6〜9のキリストの生涯の要約を補う形での、
ローマの信徒への手紙15:3bにおける詩編69:10bの引用にあるのです。引用の
原文はいささか異なっていますが、「あなたをそしる者のそしりが、わたしに
ふりかかった」とあります。これは、キリストが、神から遣わされたメシアと
して、神に敵対する者の攻撃を一身に受け止められたことを示しています。パ
ウロは、キリストのこの出来事に倣って、「強い人」は「弱い人」を喜ばせな
さい、と言ってるのです。教会も、キリストがそうであられたように、神に敵
対する者の攻撃、反キリストの攻撃を受けることとなるかもしれません。が、
その時、キリストがそうであったように、「強い人」はその攻撃を一身に受け
るのです。強いからです。そして、「弱い人」を守るのです。そうして「弱い
人」を喜ばせるのです。これが、キリストに倣って「強い人」がなすべき業で
あり、そして、これこそ「強い人」が「弱い人」を喜ばすことなのです。媚び
ることでないことはもちろんです。さらに、裁かない、対等に付き合う、を超
えて、教会内での「弱い人」を外からの攻撃から守ること、これこそ、教会内
における隣人愛の第3段階、究極の愛なのではないでしょうか。
ここまでで明らかとなりました。パウロがここで言う「人を喜ばす」は、
「神を喜ばす」と対立する「人を喜ばす」ではありません。「自分を喜ばす」
に対立する「人を喜ばす」です。「強い人」は、キリストに倣う者ならば、身
を投げ出して、「弱い人」を反キリストの攻撃から守らねばなりません。これ
は、神に喜ばれることでもあり、結果として、「弱い人」を喜ばせることとな
るのではないでしょうか。これが、パウロの言う「人を喜ばせる」だったので
す。
さて、それでは、以上の3段階の勧告が実行されたならば、そこに何が起こる、
というのでしょうか。
5〜6節「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣っ
て互いに同じ思いを抱かせ、心をあわせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・
キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」
イエス・キリストが、神の国の教会の設立を宣言され、十字架の出来事をもっ
て神の支配が実現して以来、ユダヤ人と異邦人との隔ての中垣が取り去られ、
すべての民が一つとなって神をほめたたえる教会の歩みがスタートしました。
しかし、それはあくまでもスタートであって、すべての民が一つとなること、
それに加えて心を一つにして神をほめたたえることは、まだ実現していません
し、なかなか実現しそうにもありません。そのような中で、わたしたち教会に
連なる者は疲れ、あきらめさえ抱いているかもしれません。
しかし、パウロは、いつ、いかなるところにある教会においても、「強い人」
と「弱い人」との関係において、ホップ、ステップ、ジャンプの三段跳び的勧
告が実現する時があるならば、そこに、全会衆心を一つにしての賛美、つまり、
神の国の実現がすでにある、と言っているのです。
私たちは、この世の厳しい現実の中で意気阻喪しがちな者ですが、教会での
身近な日々の出来事の中に、神の国がすでにあるのだ、ということを覚え、忍
耐の中にも、希望をもって歩んでいくことができれば、と願っております。
(この項、完)
第49回「ローマの信徒への手紙15章7〜13節」
(12/6/17)(その1)
7節「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け容れてくださっ
たように、あなたがたも互いに相手を受け容れなさい。」
今まで3回にわたって、教会内における「強い人」と「弱い人」との関係の
あるべき姿について学んできました。今日はその4回目です。
(この項、続く)
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