2014年03月02日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 45回「ローマの信徒への手紙13章8〜14節」
(12/5/20)(その2)
(承前)

 この「品位ある」と訳されている語は、新約聖書のほかの箇所(マルコによる
福音書15:43、使徒言行録13:50、17:12)では、「地位の高い」という意味で使
われています。が、パウロがここで用いているのは、その意味ではないと思わ
れます。ただ、この語はLXXで一度だけ用いられています(箴言11:25)が、
そこでは、「内的にも、外的にも、行いが善い」と言う意味で用いられており、
パウロはこの用法に倣ったのではないか、と思われます。だとすると、パウロ
はここで、ユダヤ教におけるような「外面の行いによって」だけでなく、「内
面から新たにされて」歩むように、と勧めているのではないでしょうか。
 私たちも、イエス・キリストによって、内側から力を与えられて、「偽りの
ない愛」に集中して歩んでいけるように、祈りつつ、日々を歩んでまいりましょ
う。

(この項、完)


第46回「ローマの信徒への手紙14章1〜12節」
(12/6/3)(その1)

1節「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。」

 パウロは、12:17以降しばらく、教会外の問題、すなわち、クリスチャンが
クリスチャンではない人とどのように付き合うか、という問題にかかわってき
ました。が、彼はここで、再び教会内の問題に戻ります。それでは、ここでパ
ウロが取り上げる教会内の問題とは何でしょうか。それは信仰の「強い人」と
「弱い人」との対立という問題です。このテーマは15:13まで続きます。が、
パウロがこのテーマを取り上げたのは、パウロが牧会してきた教会、コリント
の教会でたまたまこの問題が生じてきたからばかりではありません。いつの時
代、どこの教会でも起こりうる問題だからです。私たちも、自分の教会の問題
として捉えていくことが肝要か、と思います。
 それでは、「強い人」と「弱い人」とは、どういう人のことなのか。特に
「弱い人」と言われる人はどういう人なのか、そこのところから見ていくこと
といたしましょう。

2〜6節「何を食べてもよい、と信じている人もいますが、弱い人は野菜だけ
を食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはなないし、また、
食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入
れたからです。他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召
し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立
ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。ある日を他の
日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、
各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。特定の日を重んじる人
は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているから
です。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝している
のです。」
 すぐに定義づけに走りたいところですが、言葉の考察から入ってまいりましょ
う。
 まず「弱い人」という呼び方そのものについてですが、仮に、日本語の国語
辞典で「弱い」という語を引いて見ますと、「やぶれやすい」「長くもたない」
といった説明が載っています。なおかつ、日本語の「弱い」は、人間のみなら
ず、動物や「もの」についても使われる言葉です。たとえば、「弱い紙」とは
すぐに破れる紙のことです。「弱い家」は、長持ちしそうにない家のことです。
それゆえ、日本人、日本語を母国語としている人が、「弱い人」という語を聞
いて、読んで思い浮かべることは、体においても、心においても、倒れそうな
人のことで、強い風が吹いたり、試練にあったりしたら、倒れてしまいそうな、
そういう人のことなのではないでしょうか。
 ところが、聖書で言う「弱い人」、それはギリシア語では、「アスセネー」
という語で表現されていますが、必ずしもそういう人のことではない、という
ことに、わたしたちはまず注意を払う必要があります。
 もちろん、聖書でも、病気の人のことを「弱い人」と言いますし(ガラテヤ
4:17)、貧乏な人のことも「弱い人」と言います。あるいは、心がなえている
人、罪を抱えている人のことも「弱い人」と言います(ヘブライ人への手紙4:15)。
日本語で「弱い人」と言われる人と全く同じです。
 しかし、聖書ギリシア語の「アスセネー」には、日本語の「弱い」とは全く
異なる意味、そして用法があることを忘れてはなりません。聖書では、人間の
肉体を、しかも健康な肉体を「弱い」と表現するのです。病を患った肉体を
「弱い」と言うのならともかく、なぜ、健康な肉体が「弱い」と言われるので
しょうか。それは、人間の肉体が健康であればあるほど、神に逆らう傾向があ
るからなのです。パウロはローマ6:19において、ユダヤ人クリスチャンに向
かって、「あなたがたは肉において弱い」と言っていますが、それは彼らが病
気がちだったからではなく、逆に健康な肉体に頼って、神に逆らう傾向がある
ことを言っているのです。

(この項、続く)



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