2014年02月16日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
44回「ローマの信徒への手紙13章1〜7節」
(12/5/6)(その3)
(承前)
そこで、以上を踏まえた上で、クリスチャンは、この世の権威と、どう対峙
したらよいのでしょうか。
5〜7節「だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従
うべきです。あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕
える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して、自分の
義を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、恐るべき人には恐れ、敬
うべき人は敬いなさい。」
結論から言えば、終末の裁きにも耐えられないような悪については、権威を
恐れることとなるでしょうが、それ以外については良心の判断に基づいてすれ
ばよい、とパウロは言っているのです。
しかし、パウロがここで言う「良心」とは何なのでしょうか。ギリシア世界
では、「良心」とは、自分を見ている「もうひとりの自分」のことでした。が、
旧約聖書の世界では、「良心」というものは想定されていませんでした。なぜ
なら、聖書の世界では、「もうひとりの自分」ではなく、「神」に照らして自
分を見るからです。
しかし、ユダヤ教後期になると、ギリシアの影響で、「良心」という考え方
がユダヤ人にも受け入れられるようになってきました。シラ書14:2にそのこ
とが現れています。しかし、ユダヤ人にとっての「良心」とは、ただの「もう
ひとりの自分」ではなくて、「律法に通じたもう一人の自分」だったのです。
パウロにとって良心とは、まさに、神の言葉によって新たにされた「ヌース」
そのものであったのです(12:2)。み言葉に支えられた判断力に基づき、その
場その場で、「従うべきか」判断して従う、ということです。税金に関しても、
そうである、ということです。
もちろん、21世紀に生きるわたしたちは、権力の持つ「悪魔性」の問題も避
けて通ることはできません。しかし、この大きな課題と取り組むためにも、こ
の世の権威がそもそもどうあるべきなのかということ、そしてそもそもクリス
チャンは権威にどう対するべきなのか、という問題は明確にしておくべきであ
ります。
(この項、完)
第45回「ローマの信徒への手紙13章8〜14節」
(12/5/20)(その1)
8節「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりませ
ん。」
12章以降、「信仰によって義とされた者の生き方」が大きなテーマでした。
とは言え、地位、身分を同じくする者の集まりでもなく、民族を同じくする者
の集まりでもなく、異なるカリスマを持つ者の集まりである教会においては、
すべての者に共通して求められるところのものはないのではないか、と思いき
や、そうではありませんでした。すべての人に共通して求められるただ一つの
もの、それは愛であったのです。「偽りのない愛」、すなわち、何があっても
愛は貫かれねばなりません。これこそ、神の「はらわた痛める憐れみ」を受け
止め、自らを生贄として献げた者の生き方だからです。
この愛を互いに交わすことにより、教会は、神の国、神の支配を先取って行
くのです。ところが、クリスチャンは、教会の中でだけ生きているわけではあ
りませんから、愛をふりそそいだとしても、その愛に対する応答が全く期待で
きない、という現実に直面するかもしれません。考えてみれば、当然のことな
のですが、この時にクリスチャンが陥りやすい誘惑が2つ紹介されます。一つ
は、愛を受け入れない人々を前にして、神に成り代わって終末の裁きを行って
しまう、という誘惑です。これもよく考えてみれば、信仰によって義とされた、
ということは、「自分が神と等しくなった」ということでは全くなく、罪の自
分が、そのままで義と認められた、に過ぎないのです。
第二は、愛をちっとも受け止めない、理解しようともしない、この世の権威
を軽んじ、結果、この世の法を軽んじる誘惑です。しかし、神の名の下に最低
限のルールを定めたこの世の法さえ無視する者に対しては、この世の支配者も、
終末の裁きの一端を担う者として、裁きをもって臨むこととなります。
要するに、この世におけるクリスチャンの生き方は、「偽りのない愛」に集
中し、愛の名の下に借りを作ることのないように、罪を負ってはならない、と
いうことなのです。
本日のテキストは、以上を受けて、「偽りのない愛」に集中していれば、愛
の名の下に罪を犯すことはないはずだ、というところから始まります。
8〜10節「人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺す
な、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のよ
うに愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だ
から、愛は律法を全うするのです。」
(この項、続く)
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