2014年01月19日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 42回「ローマの信徒への手紙12章3〜8節」
(12/4/22)(その3)
(承前)

 そこでパウロは、それぞれの賜物の平等性を主張するのです。その一つが、
教会は「キリストのからだ」論を踏まえたTコリント12〜14章の議論です。目
が、「見る」という重要な機能を担っているからと言って、手に向かって「お
前はいらない」とは言えず、頭が「考える」という重要な機能を担っているか
らと言って、足に向かって「お前たちは要らない」とも言えないのです(Tコリ
ント12:21)。キリストのからだの一つ一つの部分が、平等な、なくてはならな
い、大切な、かけがえのない部分なのです。
 パウロは、ここ、12:5〜6で、「教会=キリストの体」論を述べた後、暗黙
の裡に、Tコリントの議論を踏まえて、さりげなく、教会におけるすべての賜
物を、「恵みの賜物」の下にひとくくりにします。すなわち、カリスマは、一
見派手に見えるものもあり、一見地味に見えるものもあるが、皆平等であり、
皆かけがえのない、大切な、欠かすことのできない部分だ、ということを暗に
主張しているのです。この平等、そしてかけがえのなさこそが、教会における
役割分担の在り方です。そして、ついでですが、このパウロのカリスマ論が、
後のプロテスタント教会の万人司祭主義に受け継がれていくのです。
 さて、以上のことより、主張は明らかとなりました。いけにえとして献げら
れたクリスチャンの生き方の第一は、「教会においてそれぞれに与えられた役
割に謙虚に仕える」ということになるのではないでしょうか。先ほど読みませ
んでした3節後半をお読みします。

3節後半「自分を過大評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えて
くださった信仰の度合いに応じて、慎み深く評価すべきです。」

 この言葉は、決して盲目的な従順を要求しているわけではありません。各人
の、教会における働きが、平等なもので、かけがえのないものであるがゆえに、
つまり、神の国建設のため欠かすことのできない働きであるがゆえに、身を献
げて仕えよ、との勧めであります。

(この項、完)


第43回「ローマの信徒への手紙12章9〜21節」
(12/4/29)(その1)

9節「愛には偽りがあってはなりません。」

 パウロは、いよいよ、信仰によって義とされた者の生き方、というテーマに
入ってまいります。しかしながら、そもそも、信仰によって義とされた者の生
き方を一緒くたに論じることなどできるのでしょうか。与えられたカリスマご
とに異なるのではないでしょうか。
 たとえば、旧約聖書の時代、祭司階級に属する者には、特別の「清め」が要
求されていました。レビ記21章によれば、祭司階級に属する者は、「親族の遺
体に触れてはならず」「頭髪の一部を剃りあげたり、ひげの両端を切り落とし
たり、身を傷つけてはならず」「遊女をめとってはなりません」でした。
 ところが、信仰によって義とされた者の共同体では、どのようなカリスマを
与えられた者にも、要求されるところは同じです。
 すなわち、パウロにおいては、クリスチャンは、たとえどのようなカリスマ
を与えられていようとも、皆平等であり、皆同じ規範が求められている、とい
うことです。私たちは、以上のことを8節と9節の間に読み込んで、9節以下
を読み進めていくことといたしましょう。
 それでは、信仰によって義とされた者、すなわちクリスチャンに要求される
規範は何でしょうか。それは愛です。

9〜16節「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟
愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠
らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難をも耐え忍
び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助
け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を
祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、
泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人と
交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」

 すべての根本に愛がある、ということが、クリスチャン全員に求められる生
き方です。が、ここで言う愛が神の愛であることは自明のこととしても、「偽
りのない愛」とはどういう愛のことなのでしょうか。まず、この点を明らかに
してまいりましょう。
 「偽りのない」と訳されている語、「アニュポクリトス」は、新約聖書で5
回しか出てこない稀出語です。パウロも、こことUコリント6:6でしか用い
ていません。それゆえ、正確な意味を確定するのは困難です。しかし、LXX
に一回だけ用例があります。パウロもその用例を踏まえてこの語を用いた、と
考えられます。

(この項、続く)



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