2013年11月17日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 38回「ローマの信徒への手紙11章25〜32節」
(12/3/11)(その1)

25節「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた
計画をぜひ知ってもらいたい。」

 いよいよ、9〜10章のしめくくり、結論です。問題は、イスラエルは結局ど
うなるのですか、ということです。どうなるのでしょうか。そこでパウロが持
ち出してきたのが、「(神の)秘められた計画」なるものでした。これは、別名
「イスラエルの神秘」とも呼ばれる有名なものです。そもそも神秘(ミュステー
リオン)とは何なのか? そして「イスラエルの神秘」とは何なのか? 順に見
ていくことといたしましょう。
 神秘とは、日本語の文字通り「神の秘密」です。一見、どの宗教にもありそ
うに見えますが、旧約聖書においては、元来は、神秘も、すなわち神秘にあた
る語さえありませんでした。
 旧約聖書ヘブライ語にも、「秘密」にあたる語はあります。「ソード」と言
います。が、「ソード」は人間同士の「秘密」です。たとえば、箴言30:19に
は、「秘密をばらす者、中傷し歩く者、軽々しく唇を開く者とは交わるな」と
の警句が記されていますが、ここで言う「秘密」が「ソード」です。文脈から
分かるとおり、「ソード」は人間の持つ「秘密」です。「ソード」には、「神
の秘密」という用例がないのです。なぜ、神には「秘密」がないのでしょうか。
それは、神が天地創造においてすべてをさらけ出され、イスラエルと契約を結
んで、イスラエルにはすべてを明らかにされたからではないでしょうか。旧約
聖書において、神はそもそも「隠し事のない神」であられたのです。
 ところが、旧約聖書の最後の最後、ダニエル書に至って初めて、「神の秘密」
が登場しました。ダニエル書2:28、29です。場面としては、バビロニア王ネ
ブカドネツァルが、「巨大な像の夢」を見た場面です。王はこの夢の夢解きを
賢者たちに求めましたが、だれもできませんでした。そこで当時バビロンに幽
囚の身であった、イスラエル人ダニエルが登場し、その夢解きをしてみせるの
です。そしてその時、神は、ダニエルに「神の秘密を明かし、将来起こるべき
ことを知らせた(29節)」と記されています。
 ダニエル書において、「神秘」が初めて登場した、ということは何を意味す
るのでしょうか。
 そもそもダニエル書は、アンティオコス・エピファネスの支配下において記
された、とされています。この世において悪の力が抬頭する中で、神の「終末
の裁き」が射程に入ってきました。神が「終末の裁き」をされることが確実と
なってきました。それでは、神はいかなる裁きをされるのでしょうか。それを
神は「秘密」にしておられるのです。以上が、旧約聖書の最後の最後になって
「神秘」が初めて登場する訳です。ちなみに、ダニエル書のこの部分はアラム
語で書かれており、ヘブライ語の「ソード」には「神の秘密」の意味がなかっ
たのに対し、ここダニエル書では、アラム語の「ラーズ」という語が、「神の
秘密」の意味で用いられているのです。ちなみにギリシア語では、「神秘」の
ことを「ミュステーリオン」と言いますが、LXXでこの語が適用されている
のは、旧約聖書本文では、ダニエル書2:27、28、47のみなのです。
 さて、その後、ユダヤ教の一部は、その「神の秘密」、「神秘」を「しるし」
や「まぼろし」によって探ろう、という方向へ流れて行きました。黙示文学と
言います。が、ユダヤ教の主流、ラビたちは、黙示文学の流れに否定的、いや
軽蔑さえしていました。なぜなら、ラビたちは、神の意思はすでに律法の中に
言い尽くされている、と考えていたからです。それでは、黙示文学の立場に立
つ者は、「神秘」を、「終末の裁き」をどのように受け止めていたのでしょう
か。それは、「たとえどのようなことが起ころうとも、全イスラエルが救われ
る」ということです。そして、この結論に対しては、ラビたちも、何の異論も
なかったのです。
 さて、以上のような状況下に、「終末の裁き主」として来られたイエスは、
案の定、「神秘」を持って来られました。「神の国の神秘」です(マルコ4:11
など)」。ところが、この「神の国の神秘」は、ユダヤ教支配下でしたら、真っ
先に明らかとさるべきイスラエル、少なくともラビたち、に隠され、弟子たち
にだけ明らかにされたのです(マルコ4:11)。
 「神の国の神秘」とは何でしょうか。十字架の贖いによる全人類の救いです。
この大いなる神秘は、弟子たちに対してさえ、公生涯においてはほのめかされ
ただけで、復活のキリストとの出会いにおいて初めて明らかにされたものです。
イスラエルのみの救いに固執するユダヤ教徒には、思いも及ばないものだった
のです。
 が、ユダヤ教徒の中でも、ラビの中でも、パウロだけには、復活のキリスト
との出会いを通して、「神の国の神秘」が示されることとなりました。それゆ
え、パウロも、「神の国の神秘」とは、キリストの出来事による全人類の救い
(Tコリント:2:1、7など)と受け止めているのです。
 そのパウロが、「神の国の神秘」の一部、延長として、イスラエルの運命を
どのように受け止めているのか、が本日のテーマです。25節後半〜27節は、そ
の主旨です。

(この項、続く)



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