2013年10月06日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 34回「ローマの信徒への手紙10章5〜13節」
(12/2/12)(その3)
(承前)

 律法主義の終わり、そして福音の啓示という出来事を通して、救いのエージェ
ントは、ユダヤ教の会堂から、神の国の教会へと変わりました。もはや、律法
を守ることを義務化されることはなく、教会において信仰を告白すること、す
なわちイエスにおいて神の言葉が啓示されることを信じることにおいて、すべ
ての人に救いへの道が開かれたのです。
 であるからして、私たちの教会も、このように神の救いの歴史の中におかれ
ていることを、感謝をもって受け止めた上で、どのような困難の下にあっても、
福音宣教の業励んでいきましょう。

(この項、完)


第35回「ローマの信徒への手紙10章14〜21節」
(12/2/19)(その1)

14~15節「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞
いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がいなけれ
ば、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えること
ができよう。『良い知らせを告げる者の足は、何と美しいことか』と書いてあ
るとおりです。」

 ユダヤ教の時代と異なり、教会において信仰を告白すること、すなわち、イ
エスにおいて神の言葉が啓示されたことを信じることにおいて、すべての人に
救いへの道が開かれました。文字通り、主の名を呼び求める人はすべて救われ
ることとなったのです。
 しかし、福音、神がキリストにおいて愛を示してくださったこと、を聞くこ
とがなければ、信仰は起こりようがありません。さらに、福音を宣べ伝える者
がいなければ、福音を聞くということは起こりません。そして、教会が福音を
宣べ伝える者を派遣しなければ、福音を宣べ伝えるということも起こらないの
です。神の国の教会の設立と、福音宣教者の派遣が、福音宣教の原点です。
 しかし、宣べ伝えられた福音が、いつでも聞かれるとは限りません。

16~17節「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、
『主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか』と言っています。
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始
まるのです。」

 引用は、イザヤ書53:1からのものです。神が使わされた苦難の僕のことを、
だれもが顧みなかったことを言っています。苦難の僕の体験は、イエスご自身
の体験でもあります。そしてイエスご自身の体験は福音宣教者の体験でもあり、
ここで言われていることは、今パウロが直面している現実です。
 しかしながら、信仰は、先ほども述べられたように、聞くことに始まるので
すから、福音宣教者は、パウロは、キリストの言葉、福音を語らなければいけ
ません。17節は、福音宣教者パウロが、今受け止めている使命を言い表して
います。
 ところが、ここでパウロの記述は、アッと驚く展開を見せます。神の国の教
会の設立以前であるにも関わらず、イスラエルには、旧約聖書時代に、キリス
トの言葉が語られ、そしてイスラエルはそれを拒否した、それゆえ、イスラエ
ルには、キリストの言葉への立ち帰りが求められるというのです。
 18節から21節を通して、パウロの言うところを見ていきましょう。

18~21節「それでは尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もち
ろん聞いたのです。『その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで
及ぶ』のです。それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。
このことについては、まずモーセが、『わたしは、私の民でない者のことであ
なたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう』と
言っています。イザヤも大胆に『わたしは、わたしを探さなかった者たちに見
いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した』と言っています。し
かし、イスラエルについては、『わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手
を差し伸べた』と言っています。」
 この問題となる箇所に入って行く前に、17節の「キリストの言葉」という語
の意味を確定しておきましょう。
 そもそもヘブライ語においては、「言葉」を表す語は「ダーバール」と言い
ます。一語だけです。ところが、ギリシア語においては、「言葉」を表す語が
二つあります。「ロゴス」と「レーマ」です。「ロゴス」の方が有名ではあり
ますが、「レーマ」の方が、単純に話された「言葉」を指す語です。「ロゴス」
はそれに対して、もともと「計算」という意味で用いられてきた語です。「言
葉」は「言葉」でも、その語の中に、「判断」ですとか、「評価」といった意
味が込められた語です。
 さて、ヘブライ語聖書をLXXの訳者がギリシア語に訳すとき、「神の言葉
(ダーバール)」を「ロゴス」と訳すか、「レーマ」と訳すか、大いに迷った
のではないか、と考えられます。

(この項、続く)



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