2013年09月22日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 33回「ローマの信徒への手紙10章1〜4節」
(12/2/5)(その3)
(承前)

 パウロはおそらく、律法主義の問題性に気づき、そして復活のキリストとの
出会いを通して、キリストによる新しい「ヤーダー」の世界、信仰によってす
べての人が神と「ヤーダー」する世界に目見開かされたのでしょう。ここに、
神と人との「ヤーダー」の原点は回復されました。ゆえに、律法主義者は無知
であり、キリストは「律法の終わり」なのです。

4節「キリストは律法の目標であります。信じる者すべてに義をもたらすため
に。」

 ここにも、翻訳上の問題点があります。「目標」と訳されている語の原語は
「テロス」です。「テロス」には、確かに「目標」という意味もあります。が、
ここでパウロが言いたいのは、律法が、律法主義が、キリストにおいて目標を
失い、「終わった」ということです。特に、日本語の「目標」という語には、
「目当て」という意味合いはあっても、「(目標が)達成されたら棄てられる
もの」という意味合いは全くありません。ここを「目標」と訳してしまっては、
パウロの意図が全く伝わりません。協会訳の「律法の終わり」という翻訳がベ
ターです。
 わたしたちは、いや私たち異邦人こそ、キリストにあって、神と「ヤーダー」
の関係に入れられている。このことを心からの感謝をもって受け止めたいもの
です。

(この項、完)


第34回「ローマの信徒への手紙10章5〜13節」
(12/2/12)(その1)

5節「モーセは、律法による義について、『掟を守る人は掟によって生きる』
と記しています。」

 キリストが躓きの石となり、キリストが律法の終わりとなられました。イス
ラエルの選びはキリストにおいて終わったのです。それでは、キリストによる
新しい選びとはどのようなものなのでしょうか。話はそこから始まります。
 が、律法の義と信仰の義との関係については、すでに3章で触れられていま
した。パウロは、3章の議論をここでまた繰り返すのでしょうか。そうではあ
りません。ここは「イスラエルの選び」の文脈です。信仰による義が、アブラ
ハムにおいて伏線として示されていたことは、すでにふれられた通りですが、
ここでは、すでに神の言葉として啓示されていたことが、まず語られることと
なります。本日のテキストは、旧約聖書の引用をもって展開されます。
 さて、諸宗教の中には、禅宗に典型的に見られるごとく、「真理は言上げす
ることができない(言葉でもって表現することができない)」と考えるものも
多くあります。真理は、言葉化される以前にある、という訳です。
 が、聖書の世界、聖書の伝統においてはそうではありません。神は言葉にお
いて自己啓示され、その言葉によって世界に働きかけられるのです。
 まず、創造の言葉です。天地が無であった時、神は「光あれ」という言葉を
もって、世界の創造を開始されました(創世記1:3)。まさに、ヨハネによる
福音書1:1に言われるごとく、「初めに言があった」のです。
 その後、神の言葉はアブラハムを立たせ、モーセを立たせ、そしてイスラエ
ルという選びの民が起こされました。そして、神とイスラエルの民との間に契
約が結ばれてから後は、神の言葉は、イスラエルに対しては、専ら掟という形
で臨むこととなります。これらの掟は、後にユダヤ人、ユダヤ教徒の手で律法
という形で体系化されることとなります。
 そこで、神の言葉としての掟を守っているとよいことがある、ということが
述べられているのが、パウロによる旧約聖書の第一の引用、5節の引用の元に
なっている、レビ記18:1〜5です。出エジプトを果たしたイスラエルの民は、
今までは、エジプトの風習の下にいましたし、これからは、これから入ってい
くカナンの風習の影響下に入るかもしれません。しかし、あなたがたイスラエ
ルの民は、エジプトの風習でもなく、カナンの風習でもなく、掟を守りなさい。
そうすれば、きっといいことがあるよ、幸せになるよ、命を得ることができま
すよ、なぜなら、この掟は、何と言っても、「神の言葉」なのだから、という
わけです。
 パウロは、このレビ記18:1〜5を、レビ記の原文とは全く違う意味に解釈し
ているのですが、この点は後に触れることとして、パウロは次に、6〜8節に
おいて、申命記30:11〜14から3か所引用します。

6〜8節「しかし、信仰による義についてはこう述べられています。『心の中
で「だれが天に上るか」と言ってはならない。』これはキリストを引き降ろす
ことにほかなりません。また、「だれが底なしの淵に下るか」と言ってもなら
ない。」これはキリストを死者の中から引き上げることになります。では、何
と言われているのだろうか。
『御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。』
これは、わたしたちが宣べ伝えている言なのです。」

(この項、続く)



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