2013年09月08日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
32回「ローマの信徒への手紙9章30〜33節」
(12/1/29)(その2)
(承前)
そしてさらに、ユダヤ教が諸外国の圧力に苦しめられるようになると、神は
メシアなる石を派遣してくださる、という思想に発展していきます。シリアの
アンティオコス・エピファネスの圧倒的な力にユダヤ教が苦しめられていた時
に書かれたとされるダニエル書にて、ダニエルは次のように言っています。
「一つの石が人手によらず切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きまし
た(2:34)」
ユダヤにはメシアなる石が派遣され、諸外国を打ち倒してくれる、という訳
です。
この思想は、イエスの時代のユダヤ教にも受けつがれてきました。しかし、
ラビたちが「メシアなる石」と解釈しなかった石が、旧約聖書に一箇所だけ存
在します。それは、詩編118:2〜3です。「家を建てる者の退けた石が、隅の
親石となった。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと」と言われ
ている「家を建てる者が退けた石」です。この石についてだけは、「当時のユ
ダヤ教」はメシアと解釈しませんでした。自分たち、ユダヤ教徒が、メシアた
る石を捨てるなどということはありえない、と考えたからでしょうか。こうし
て、ユダヤ教においては、「神は、ご自身がつまずきの岩となり、またつまず
きの石を遣わして、私たちの背信(あり方)を試される」という思想、深い思
想は眠りについてしまったのです。
よって、ユダヤ教徒は、自分たちに抵抗する、自分たちがつまずくイエスが
メシアであることを見失い、一方、イエスは、新しい契約の下に、神の国の教
会を立ち上げられることにより、その親石となられ、詩編118編で言われた通り
のことが起こってしまいました。パウロは、このユダヤ人、ユダヤ教徒のつま
ずきをイザヤ書28:16を皮肉にも変えて、イザヤ書8:14と結び付けて、33節
にて説明しています。そして、ユダヤ人、ユダヤ教徒は、神の新しい契約から
漏れることとなってしまったのです。
なぜこのような事態に至ってしまったのか?
それは第一の理由を併せてみる時に全く明らかです。律法主義の下で、律法
を正しく守っていさえすれば義人である、という思い込みが生じ、自分が義人
であるという誤解が生じたのです。ユダヤに求められていたのは、悔い改めで
した。バプテスマのヨハネが、マタイによる福音書3:7〜9で、「蝮の子ら
よ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわし
い実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思っても見るな。言っておく
が、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできにな
る」と言っているとおりです。
パウロ自身は、この勇気ある悔い改めを経て、新しい契約の民の一員とされ
ました。ユダヤはパウロの後に続くことができるのでしょうか。そして、私た
ちはどうでしょうか。
(この項、完)
第33回「ローマの信徒への手紙10章1〜4節」
(12/2/5)(その1)
1節「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神
に祈っています。」
イスラエルが、イエス・キリストにつまずいて、選びからもれたところまで
来ました。
しかし、一民族に限定されない、すべての民への選びが、イエス・キリスト
によってもたらされたのですから、イスラエルも、当然この新たな選びに招か
れている、と言えます。ゆえに、パウロは、彼らが救われることを神に求め、
彼らの救いは自分の喜びである(原文はこの意)と表明するのです。が、イス
ラエルが新たな選びに与るためには、律法主義を捨てねばなりません。この点
が今日のテーマです。
2〜3節「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱
心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、
自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。」
たとえば、マカバイ記2:29〜38にこのような物語が記されています。アン
ティオコス・エピファネスの圧政に耐えかねて、マタティアとその息子たちが
反乱を引き起こしました。そのころのことです。時を同じくして、やはりアン
ティオコスの圧政に耐えかねた者たちが、妻子や家畜を伴って荒れ野に入り、
そこに住みました。しかし、「王の命令を拒否した者たちが、荒れ野の隠れ場
に下って行った」との知らせは、ただちに、エルサレムにいる王の役人たちと
軍隊にもたらされました。32節以下を引用します。
32〜38節「多数の兵士が急いで彼らの後を追い、これに追いつくと、彼らに向
かって陣を敷き、安息日に戦いを仕掛けて言った。『お前たちはもはやこれま
でだ。出て来て王の命令に従え。命は助けてやろう。』するとユダヤ人たちは
言った。『出て行くものか。安息日を汚せという王の命令など聞くものか。』
そこで兵士たちは彼らに対して、直ちに戦いを開始した。だが、彼らはこれに
応戦せず、投石はおろか、隠れ場を守ることもせず、こう言った。『我々は全
員潔く死ぬ。お前たちが我々を不当に殺したことを天地が証言してくれよう。』
こうして安息日に兵士たちは彼らに襲いかかって打ち殺し、その妻子、家畜ま
でも殺し、犠牲者の数は一千人に及んだ。」
(この項、続く)
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