2013年07月28日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 29回「ローマの信徒への手紙9章6〜13節」
(12/1/8)(その2)
(承前)

出エジプト記19:5に、神の言葉として、
「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちは
すべての民の間にあって、私の宝となる」と言われている通りです。
 これ以後、ユダヤ教においては、神のイスラエルの選びを、全イスラエルが
選ばれていると解釈するか、イスラエルの選びには律法遵守という条件があっ
て、それを満たす者のみが選ばれている、と考えるか、2つの解釈の間を揺れ動
くこととなりました。
 もちろん、どの時代にも、2つの考えは併存していたのですが、時代の流れに
従って、主流は前者から後者へと移っていきます。
 流れの変わり目は預言者の時代、イスラエルが亡国の危機、民族の存続その
ものが危なくなった時です。北イスラエル王国はすでになく、南ユダ王国の運
命も風前の灯となっていたその時、預言者ハナンヤはこう預言しました。
 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を
打ち砕く。二年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所
から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。…(エレ
ミヤ書28:2〜3)」と。
 おそらく彼は、神が全イスラエルを選んでいるのであるから、民族が滅亡し、
領土を失うことなどありえない、と確信していたのでしょう。しかし、事はハ
ナンヤの言うようにはならず、国家の滅亡、イスラエル民族のバビロン捕囚と
いう事態に直面します。ハナンヤは「偽預言者」というレッテルを張られるこ
ととなりました。
 代わって登場したのが、預言者エレミヤです。エレミヤはイスラエルの滅び
を預言しました。゛が、そうすると、神のイスラエルの選びは無になってしまっ
たのでしょうか。そうではありません。エレミヤは「新しい契約」を主張いた
します。神はイスラエルの「残りの者(エレミヤ書31:7)」と契約を結ばれる
のです。神はイスラエル全部ではなくて、この一部の「残りの者」を選びの民
とされるのです。それでは、この「残りの者」とはどういう者なのでしょうか。
エレミヤは、「(彼らは)わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそ
れを記す(エレミヤ書31:33)」と言います。が、その内容はあいまいでした。
しかし、後にユダヤ教主流派となるファリサイ派は、「残りの者」を、「律法
を文字通り忠実に守る者」と解釈し、「神に選ばれた者は律法を忠実に守る者
である」という路線を敷いていきました。
 さて、このような「神の選び」の思想の流れの中で、元ファリサイ派のパウ
ロは、一体どのようなスタンスをとっていたのでしょうか。それが、「神の全
イスラエルの選び」へと戻っていたのです。が、ただ戻っただけではありませ
んでした。その辺の経緯を、6節後半から13節を読んだ後で触れてまいりまし
よう。

6節後半〜13節「イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはな
らず、また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということには
ならない。かえって、『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。』
すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供
が子孫と見なされるのです。約束の言葉は、『来年の今ごろに、わたしは来る。
そしてサラには男の子が生まれる』というものでした。それだけではなく、リ
ベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、
同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこと
もしていないのに、『兄は弟に仕えるであろう』とリベカに告げられました。
それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方に
よって進められるためでした。『わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ』と
書いてあるとおりです。」

 パウロは、大勢に逆らって、イスラエル全体に対する神の選びが有効である、
ともう一度言います。なぜ、そして何が有効なのでしょうか。
 まず第一に、神のイスラエルへの選びは、血統によらず、約束による、とい
うことです。イサクは、アブラハムの嫡子ですから、血統によれば選びが当然
受け継がれていくはずです。実際選びはイサクに受け継がれました。しかし、
パウロは、イサクに選びが受け継がれたのは、血統によるのではなく、約束に
よる、と主張します。なぜなら、イサクは、高齢にしてすでに子供を産むこと
ができなくなったサラから、神の約束によって生まれたからである、とわけで
す(創世記18:10)。
 第二は、神のイスラエルの選びは、業によらず、神の自由な意思によるもの
だ、ということです。エサウとヤコブの事例が取り上げられます。エサウもヤ
コブもイサクの嫡男で、しかも双生児ですから、条件は全く同じなのに、ヤコ
ブが、神のイスラエルへの選びを受ける者となりました。では、二人の業が違っ
たのでしょうか。そうではありません。生まれる前から神が選んでいた、そこ
のみに選びの根拠がある、とパウロは主張するのです。

(この項、続く)



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