2013年07月21日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
28回「ローマの信徒への手紙9章1〜5節」
(12/1/1)(その3)
(承前)
話はイスラエルの選びから始まります。
4〜5節「彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、
礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリ
ストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほ
めたたえられる神、アーメン」
イスラエルに対する神の選びは絶対的なものでした。目的は、神の子たる身
分、栄光を与えるためです。これは、キリストの十字架を通して、その十字架
に従う者に神が与えようと約束してくださったものと全く同じものです。神の
イスラエルへの愛がいかに大きいものであったかが分かります。そしてその恵
みに与るための道筋として、契約を結んで律法を授与し、礼拝の仕方を教え、
預言者を通して約束の成就を告げ知らせました。なおかつ、倣うべき信仰の模
範としての先祖たち、父祖たちを与え、キリストまで用意されました。なぜ、
神はそこまでイスラエルを大切にされたのでしょうか。それは、申命記7:6〜8
に明らかです。
「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民より
も数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった(7:7)」
以上にあるとおり、イスラエルを全被造物の救いのモデルケースとするため
だったのです。ゆえに、イスラエルはその救いを受け止めねばなりませんでし
た。しかし、失敗しました。が、その失敗の体験もモデルケースとなります。
全被造物は、その失敗の体験に学ばねばなりません。そのことが、全被造物に
求められます。これから、学んでまいりましょう。
ところで、パウロは、イスラエルに対する神の選びの章を、頌栄で結んでお
ります。頌栄の主語、すなわち対象は関係代名詞(彼)であり、キリストとも
神とも解釈可能です。本筋からそれますが、三位一体の教義に関連して、激し
い論争がなされてきました。協会訳は「神」と解釈し、新共同訳は「キリスト」
と解釈しています。完全な決着は不可能でしょうが、イスラエルに対する神の
恵みをほめたたえる文脈としては、「神」と受け止める方が、自然でしょう。
神のイスラエルに対する恵みの業は、測りがたく大きいものだったのです。
(この項、完)
第29回「ローマの信徒への手紙9章6〜13節」
(12/1/8)(その1)
6節「ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。」
復活のキリストに出会い、霊の支配の下に入れられ、異邦人の使徒としての
使命に生きるパウロですが、何にも増して、同胞ユダヤ人による迫害に苦しん
でいました。そして悲しんでいました。と、そのように考えられるのです。神
の選びの民イスラエルが一体どうしたことなのでしょうか。神の選びそのもの
が無効だったのでしょうか。「いや、そうではない」とパウロは否定します。
では、イスラエルは、一体どこでどのように間違ったのでしょうか。間違いの
原因を探るため、話は、神のイスラエルの選びそのものに遡ります。
そもそも、神によるイスラエルの民の選びは、アブラハムに始まります。創
世記12:12によれば、当時ハランにいたアブラム(アブラハムの旧名)のとこ
ろに神の言葉が臨みました。
「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わた
しが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福
し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわた
しは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたに
よって祝福に入る。』」
アブラム(アブラハム)は、この言葉に従って(信じて)、カナン地方に向
かいました。カナン地方に到着したとき、神が「あなたの子孫にこの土地を与
える」と言われたので(創世記12:7)、カナンが「約束の土地」となりました。
さらに、創世記15章で、神は子孫の繁栄と土地の取得を約束され、創世記17
章では、「神がこれらの言葉を契約として誓われたこと、」また、契約受領の
しるしとして、イスラエルに割礼を要求されたことが記されています。
ゆえに、イスラエルの民は、割礼を受け、神が土地を与えて、子孫を繁栄さ
せてくださるのを見て、神の選びを確信してきた、というわけです。
しかしながら、イスラエルの民は、アブラハム、イサクの次のヤコブの代の
時に、食糧危機のために、エジプトに移住せねばならなくなってしまいました。
しかも、後には奴隷の地位にまで貶められ、土地取得どころか、子孫の維持す
らもおぼつかなくなってしまいました。が、この危機に神は出エジプトを完成
させてくださいました。神の選びを確信させてくださいました。が、それから
神の選びに条件が付くこととなります。すなわち、律法の遵守です。
(この項、続く)
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