2013年07月07日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 28回「ローマの信徒への手紙8章31〜39節」
(11/12/18)(その3)
(承前)

 だから、ユダヤ教においても、ひどい迫害による困難を受けることもありま
したが、その迫害が、神が「よし」とされた被造物によって、まして天使から
起こされるなどということはありえないことでした。迫害する者は、あくまで
も偶像崇拝者、異教徒であって、直系の子孫ではない者、神の創造の恵み外れ
た者であり、すなわち迫害は、神の創造の恵みから外れた者から引き起こされ
るものだったのです。ユダヤ人はいつでも、被害者でした。
 ところが、キリスト教は、というよりパウロは、ですが、創造において、神
が被造物を「よし」とされたことはもちろん認めますが(ローマ1:20)、アダ
ムからしてすでに罪にまみれていたことも見逃しません。すべての人は、罪の
法則の虜になっているのです。この罪の虜状態は、被造物全体に及んでいるの
でして、神の子たち(天使)も例外ではありえません(創世記6:2)。ゆえに、
罪に囚われて苦しんでいる被造物こそ、同時に迫害の加害者でもあるのです。
被造物自身が、身内から迫害するのです。キリスト教を徹底的に迫害したのは
ローマ帝国でしたが、ローマ帝国も被造物なのです。罪の支配下にあるがゆえ
に、斯くのごときことが起こってくるのです。これが、キリスト教の捉え方で
す。
 よって、キリスト者が、他の被造物のうめきを共に苦しむということは、
「さあ、寄ってらっしゃい。こちらに楽園がありますよ」と誘うような「お気
楽な」話ではないのであります。「敵を愛する」覚悟をもって、最悪殉教を覚
悟しつつ、迫害の渦中に飛び込むことなのです。
 これは、厳しいことです。しかし、この厳しい戦いの中において、キリスト
者は十字架を、神の愛を、体験として感じ取ることになる、とパウロは、37節、
38節で言っております。
 歴史の事実として、あの、敵であったローマ帝国を排除するのではなく、味
方としてしまった歴史の中にも、神の愛の勝利の力強さを見ることができるの
ではないでしょうか。

(この項、完)


第29回「ローマの信徒への手紙8章31〜39節」
(12/1/1)(その1)

1〜3節「わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。
わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみ
があり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、
つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた
者となってもよいとさえ思っています。」

 前回の講解説教は、12/18でした。神の救済の歴史の最終段階へ向けて、罪の
支配、罪の法則の下から、霊の法則、霊の支配の下へ移された者、その者をク
リスチャンと言いますが、そのクリスチャンが、まだ救われていない全被造物
のために、共にうめき、共に苦しんでいる時代のことでした。クリスチャンが
全被造物の救いのために尽力しているにもかかわらず、その全被造物から、天
使も含めて、いわば総攻撃とも言えるような迫害を受けること、を学びました。
 もちろん、主キリストは、よみがえられて、神の右に座し、クリスチャンを
選び、クリスチャンのためにとりなし、支配しておられますから、そしてそれ
らのことが十字架の恵みから確かに類推されますから、クリスチャンは迫害に
対しても、勝利の希望をもって臨むことができます。あの、クリスチャンにとっ
て最大の敵であったローマの帝国さえもが、キリスト教の味方となる、という
恵みをいただくこととなります。
 しかし、パウロにとって、被造物による迫害として彼が最も心を痛めたのは、
同胞として、共に神の国を受け嗣ぐはずであったユダヤ人、すなわちイスラエ
ルによる迫害だったのではないでしょうか。パウロがその救いを最も強く願っ
ていたにもかかわらず、パウロをもっとも強く迫害するのです。そこでパウロ
は、9〜11章において、イスラエル問題に触れざるを得なくなります。今日は、
9:1〜11:36でパウロがイスラエル問題について論じている部分の、12回にわた
る講解の第1回目となります。
 ところで、パウロに対するユダヤ人の迫害とは、どのようなものだったので
しょうか。
 パウロに対するユダヤ人の迫害と言えば、その最大のものは、使徒言行録21
章以下に記されているパウロの捕縛でした。第三伝道旅行ののち、パウロはエ
ルサレムでユダヤ人に捕えられ、総督に引き渡されました。パウロは、2年間の
拘留の後、ローマへ護送され、そこで、最期を迎えることとなります。パウロ
は、イエスと同じように、ユダヤ人の迫害によって死にました。が、この死に
至る迫害の前にも、(この手紙を書いている時点ではパウロはまだ捕えられて
はいませんが)「ユダヤ人から40に足りない鞭を受けた(コリントの信徒への
手紙二11:22)」とも記しています。その他にも、数えきれない迫害を受けて
きたことでしょう。

(この項、続く)



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