2013年06月23日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 26回「ローマの信徒への手紙8章18〜30節」
(11/12/11)(その3)
(承前)

 霊の初穂である、とはどういうことでしょうか。「手付金状態」である、と
いうことです。すでに契約に必要な代価は支払われ、契約は成立していますが、
「引き渡し」が終末の時だ、ということです。よって、パウロの言う希望は、
実現の見通しが立っていない希望なのではなく、すでに契約が成されたものを
待ち望む、という確実な、根拠のある希望だ、ということです。
 そして、さらに心強いことには、クリスチャンには「霊のとりなし」があります。

26〜27節「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちは
どう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもってと
りなしてくださるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っ
ておられます。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのためにとりなしてくだ
さるからです。」

 「霊のとりなし」について、とりなしはキリストのとりなしで十分、ここ、
26〜37節は、霊も、キリストのとりなしに協力しているとの意だ、と受け止め
ることも可能です。しかし、文脈から見て、ここで言う「霊のとりなし」とは、
クリスチャンのうめき、さらには、クリスチャンの被造物と連帯してのうめき
に対して、教会を支配する霊も、連帯してうめいていてくださる、という意味
でしょう。実際、初代教会の礼拝においては、「霊のうめき」としか受け取れ
ない現象があったのかもしれません。
 パウロ、パウロの時代のクリスチャンと同じく、私たちも、自分自身の救い
のためにうめき、同胞の救いのためにうめいています。しかし、この戦いは、
孤独で、不安なものではありません。私たちがよって立つ希望は確かなもので
すし、教会を支配したもう聖霊は、共にうめいていてくださるからです。この
ことに力づけられ、一歩でも前進してまいりましょう。
 最後に、28〜30節を読んで、神のご計画を確認してまいりましよう。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちにとっては、万
事が益となるように共に働く、ということを、わたしたちは知っています。神
は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじ
め定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義
とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」

(この項、完)


第28回「ローマの信徒への手紙8章31〜39節」
(11/12/18)(その1)

31節「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわた
したちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」

 先週は、キリスト者の受洗後の歩みについて触れました。キリスト者、クリ
スチャンには二種類の苦しみがあります。一つは他の被造物がまだ救われてい
ないがゆえの苦しみです。救いを求めてうめく被造物と、クリスチャンは苦し
みを共にするのです。第二は、自分自身のからだのよみがえりを求めての苦し
みです。まだ贖われていないからだをもって生きていかねばならないところに、
苦しみが生じます。しかし、クリスチャンには希望があります。希望と言って
も、実現するかどうかわからないような希望ではありません。主イエス・キリ
ストの十字架と復活とによって、すでに成就したことがこの身にも与えられる
希望です。しかも、聖霊による、神の子供、神の相続人とされる保証をもいた
だいている希望です。
 これですべて安泰のようですが、ここで問題が起こってきます。救いを求め
て共にうめき苦しんでいるはずの他の被造物が、何とクリスチャンを迫害して
くるのです。本日は、「他の被造物による迫害」が、隠されたテーマです。
 しかし、最初に、この迫害との戦いにおいては、クリスチャンがすでに勝っ
ていることが宣言されます。クリスチャンには、そこまでの安心が与えられて
います。その根拠は何でしょうか。

32〜34節「わたしたちすべてのために、その御子さえ惜しまず死に渡された方
は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神な
のです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、
むしろ復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わ
たしたちのために執り成してくださるのです。」

 勝利宣言の根拠となるのは、過去の事実です。すなわち、神が御子、原文で
は御自身の子、をこの世に与えられたこと、その御子が十字架にかかって死ん
だこと、よみがえられたこと、まさにクリスマスの出来事です。クリスマスの
出来事によって、いかなる恵みが人類、そして被造物全体に与えられたでしょ
うか。それは、「義化」です。アダム以来今まで、人類、そしてすべての被造
物は、罪の支配の下に苦しんできました。抜け出そうとしても、どうしても抜
け出すことができませんでした。

(この項、続く)



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