2013年06月02日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 25回「ローマの信徒への手紙8章12〜17節」
(11/12/4)(その2)
(承前)

 しかし、それでは、神の支配の下、神の国の教会においては、与えられるも
のは、肉からの自由、罪からの自由だけなのでしょうか。そうではありません。
そこでは新たな恵みが用意されています。14節以下は、その恵みが何であるか、
というテーマに入ります。

14〜17節「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、
人を奴隷として、再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたので
す。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こ
そは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証
ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、
しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しんだなら、共にその
栄光をも受けるからです。」

 罪の支配の下で、人の行き着くところは死でした。それでは、神の支配の下
で人の行き着くところは何か、と言えば、それはよみがえりの命です。このよ
みがえりの命の付与を保証するために、神は神の支配の下にある者に、神の相
続人という資格を与えてくださいます。以下、詳しく説明してまいります。
 終わりの時に至るまでは、神の支配は、神の霊の支配という形で、神の国の
教会の中において存在します。しかし、現実の教会は不純です。本当に霊の支
配下にある者は、神の国の教会に属してはいても、「神の霊によって導かれる
者」に限定せざるを得ません。が、「神の霊によって導かれる者」であれば、
みな「神の子」という称号をいただくのです。
 それでは、「神の子」とは何でしょうか。が、「神の子」についてのパウロ
のここでの議論の結論は単純ではないので、注意が必要です。
 そもそも、旧約聖書の宗教は、厳密なる一神教でしたから、人間が「神の子」
(神と本質を同じくする者)と呼ばれることなど、ありえないことでした。「神
の子」と言えば、それは本来は天使のことだったのです(詩編89:7など)。それ
が、神の特別の恩恵で、まず、イスラエルの王だけが、「神の子」と呼んでい
ただけるようになりました(サムエル記下7:14)。引き続いて、イスラエルの民
全体が、「神の子」と呼ばれる特権を、神の特別の恵みによっていただくこと
となったのです(出エジプト記4:22、ホセア書11:1)。
 この歴史を受け止め、パウロは、神の国の教会の時代に入った今、神の国の
教会のメンバーとして、神の霊の導きの下にある者が、「神の子」と呼ばれる
ようになった、と言っているのです。
 しかし、ここでパウロは、「神の子」の身分は奴隷の身分とは違う、と言い
ます。ここからの議論がややこしくなります。旧約聖書の時代、神がイスラエ
ルを「神の子」とされる、と言われたとき、それは、必ずしもイスラエルと養
子縁組をされた、ということを意味するものではありませんでした。なぜなら、
ヘブライ語で「子」を意味する「ベーン」という語は、「子」という意味と同
時に、「…に属する者」という意味をも持っているからです。旧約聖書で、神
がイスラエルを「神の子」とされた、と言われるとき、実は、神がイスラエル
を「神に属する者とされる」という意味であった、と考えられるのです。
 ところが、ヘブライ語の聖書がギリシア語に訳されました。その際、訳者た
ちは、「ベーン」という語の訳語に「フィオス」を当てました。ところが、「
フィオス」という語には、「子」の意味、養子縁組をしたものも含めて、の意
味はあっても、「…に属する者」という意味はなかったのです。よってギリシ
ア語で「神の子」と言った時、それは、「神と養子縁組をした者」だけを指す
言葉となったのです。
 パウロは、ここで、クリスチャンは、ギリシア語で言う「神の子」である、
と言っています。つまり、クリスチャンは、神と、「養子縁組による親子関係
にある」と言っているのです。ゆえに奴隷関係は、全く排除されます。
 神と、奴隷関係ではなく、親子関係にある、ということは、どういう効果を
もたらすのでしょうか。一つには、クリスチャンが、神を「アッバ、父よ」と
呼ぶことができる、ということです。「アッバ、父よ」という呼びかけは、本
来は乳児が親に対してなす呼びかけです。ということは、こうお呼びすること
によって、クリスチャンと神との関係が、親子関係であるということが確認さ
れるのです。
 さらに、クリスチャンと神とが親子関係にある、ということは、次に、どの
ような効果をもたらすのでしょうか。それは、クリスチャンが相続人になる、
ということです。
 相続問題に議論が及ぶに及び、パウロは、今までクリスチャンを「神の子」
と呼んでいたのに対し、「神の子供」と呼ぶようになりました。これには、ど
のような意味があるのでしょうか。その意味を説明するためには、再び、ギリ
シア語の特性に触れないわけにはいきません。

(この項、続く)



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