2013年04月14日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
21回「ローマの信徒への手紙7章1〜6節」
(11/10/23)(その2)
(承前)
ヨハネ7:53〜8:11において、イエスが姦通の現場を押さえられた女性を赦し
たのも、罪をあいまいにしたわけではなく、イエスご自身がこの女性の立場に
身を置き、その罪の罰を負ったがゆえであることを忘れてはならないのです。
さて、以上の前提をもって7:1〜3を見てみましょう。律法に生きる立場を捨
てて、キリストに従う立場を選び取った者、パウロを始めとするユダヤ人クリ
スチャンがまさにそれにあたるでしょう。が、夫を乗り換えた女性にたとえら
れております。ユダヤ人クリスチャンは「姦通の女性だ」というわけでありま
す。このたとえを直接に聞いたローマの教会の信徒がどのように感じたか、は
わかりません。しかし、のちの教会では、不適切なたとえとして受け止めてこ
られたのではないか、と推測されます。たとえば、日本のある高名な神学者も
このたとえが大変気に入らない様子で、「パウロはラビ時代の悪いクセが出て、
ヘリクツを言っている」と断じて切り捨てておられます。
しかしながら、ホセア書以来の旧約聖書からのユダヤ教の流れを見てみます
と、律法に従わず、イエスに従う者が「姦通の女性」と同じに見られていたこ
とも確かなのです。周知のように、ホセア書では、神とイスラエルとの関係が、
夫婦の関係にたとえられております。妻であるイスラエルは、排他的に夫に従
わねばなりません。ところがイスラエルは異教の神に仕えました。それをホセ
アは姦通と呼んでいるのです(ホセア書3:1以下、4:11以下)。が、ユダヤ教時代
になると、律法に背く者すなわち姦通を行う者とみなされるようになってまい
ります。シラ書23:22以下によれば、
「夫を顧みず、よその男によって世継ぎをもうける女も同様である。第一に
こういう女は、いと高き方の律法に背き、第二に夫を裏切り、第三にはみだら
にも姦淫を行い、よその男によって子をもうけるからである。」
律法に背くことが、姦淫の罪に通じている、というわけです。イエスご自身
も、「姦通の子」と見られていたわけですし、律法に背を向けたクリスチャン
が、シラ書に出てくる女性の姿と重ね合わせて見られていたとしても不思議で
はありません。
でも、構わないではないか、これが、このたとえをもってパウロがユダヤ人
クリスチャンに伝えたかった宣言です。キリストが罪を負って死なれたことに
より、クリスチャンが律法違反だと責められることはもうありません。すなわ
ち律法は死んだも同然なのです。それゆえ、ユダヤ人クリスチャンは正々堂々
とキリストに乗り換えればいいのであります。つまり、ユダヤ人クリスチャン
にとっては、罪の死は即律法の死なのであります。
4〜6節は、6章で述べられていた洗礼の意義、「罪に死に、キリストに生き
る」がユダヤ人クリスチャンの場合には、そのまま、律法に死に、キリストに
生きると言い換えられることが示されています。
4〜6節「ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法
に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、
死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対
して実を結ぶようになるためなのです。わたしたちが肉に従って生きている間
は、罪へ誘う情欲が律法によって五体の中に働き、死に至る実と結んでいまし
た。しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者とな
り、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、
霊に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。」
洗礼によって新しい生き方に入ることは、そのまま律法に死ぬことです。確
信をもって新しい生き方を選び取ってまいりましょう。
(完)
第22回「ローマの信徒への手紙7章7〜13節」
(11/10/30)(その1)
7節「では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうでは
ない。」
「クリスチャンは夫を乗り換えた女性」このたとえにびっくりしてしまった
私たちではありますが、パウロはとどまるところを知らず、これ以後、律法に
しがみついているといかにダメで、神の義を受け取ることがいかに良いか、と
いうことを、しばしの間、分使用上のテクニックを駆使して訴えづけていくこ
ととなります。
その文章技術とは、パウロがここから先、一人称単数、すなわち「わたし」
を主語として述べている、ということです。「わたし」を主語にした文章は、
近代人からすると、明らかに作者(パウロ)の独白です。
ところが、「わたし」がパウロ自身ではありえない記述があるのです。「わ
たし」は律法の公布前から生きていたからです。
(続く)
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