2013年01月13日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 13回「ローマの信徒への手紙4章1〜8節」
(11/8/28)(その2)
(承前)

 ヨベル書によれば、アブラハムは、メソポタミアの偶像礼拝を拒否し、メソ
ポタミアから抜け出した偉大な人物とされています。それゆえ、神はアブラハ
ムを義と認め、アブラハムと契約を結んだのです。ところで、ヨベル書によれ
ば、アブラハムが拒否したのは、偶像礼拝に元を発する、メソポタミアの星占
いや「性の乱れ」でした。推察するに、ヨベル書のころのユダヤ人が。世界へ
出て行って、メソポタミアの他宗教の人々、そして到底受け入れられない慣習
に出会い、そこで、自分たちの祖先のアブラハムをその悪弊に染まらず、拒否
した人物として描いたのではないでしょうか。
 が、いずれにしても、このヨベル書のアブラハム像に基づいて、アブラハム
の義人化が進むこととなりました。ヨベル書と同時代の死海文書の中では、ア
ブラハムのエジプトでの失敗に触れ、それは悪い天使の誘惑によるものだ、と
してアブラハムの責任を回避する方向へ進みました。紀元後1〜2世紀のラビの
時代、すなわち、イエスやパウロの時代になると、アブラハムは、偶像礼拝拒
否の功績に加え、大変に信仰深い人物として、完璧な、「契約の受け手」「義
人」となっていくのです。ユダヤ教文書の中には、アブラハムの徳があまりに
も完璧であったために、イスラエルは、神から、独占的そして排他的契約によ
り、永久に悪から解放されるといった、国粋的な思想を持つものまで現れるよ
うになりました(『アブラハムの黙示録』)。
 さて、パウロですが、ファリサイ派時代、極端にまでは行かなくとも、アブ
ラハムを義人とみなしていたことは確かです。しかし、彼は、復活のキリスト
に出会って、アブラハムに対する見方も変わりました。復活のキリストがお示
しになられた「信仰の義」の根底にある人間観は、「正しい者はいない。一人
もいない(3:10)」です。協会訳では、「義人はいない。一人もいない」です。
義人は一人もいないのです。アブラハムも、義人ではなく、罪人の一人に過ぎ
ないのです。
 しかし、罪人の一人に過ぎないアブラハムを、神が契約の相手としてくださっ
た、ということは、この点に関する限り、神がアブラハムを義と認めたからで
す。どうしてそのようなことが起こり得ましょうか。それは、彼に、偶像礼拝
拒否という隠れた徳があったからでもなく、将来にわたって子孫に律法を守る
ことが期待されたからでもなく、アブラハムの「信仰」によるものでした
(創世記15:6、ローマの信徒への手紙4:7)。
 しかしながら、あの、神の約束をなかなか信じられなかった、アブラハムの
信仰とは、一体何ものなのでしょうか。パウロの言う信仰とは何なのでしょう
か。

4〜5節「ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべき
ものとみなされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、
働きがなくても、その信仰が義と認められます。」

 パウロが言うところの信仰は、ただの信仰ではありません。パウロが「信仰」
と言うとき、それは必ず「イエス・キリストを信ずる信仰(ガラテヤ2:16)」を
意味します。それでは、イエス・キリストを信ずる信仰とは何でしょうか。そ
れは、キリストの十字架の贖いによって、不信心な者が義とされる恵みを信じ
る信仰です。アブラハムは、創世記の物語から分かるように、全くの「不信心
者」です。神の約束を信じることができず、自分の判断で行動してしまいまし
た。しかし、その「不信心者」を、それでも義としてくださる、それが神の恵
みです。イエス・キリストの出来事です。この恵みを「ありえない」と決め付
け、拒否するのではなく、「受け容れる」こと、これが「信仰」なのです。ア
ブラハムの時代、まだイエス・キリストの恵みは示されてはいませんでした。
しかし、アブラハムは、イエス・キリストを知らずして、しかし、自分のよう
な「不信心者」が義とされることを信じたがゆえに、「信仰者」にして、義と
された者となったのです。
 最後に、パウロは、ダビデの作とされる詩編の引用(32:1〜2)をもって、この
セクションを締めくくります。

6〜8節「同じように、ダビデも、行いによらず神から義と認められた人の幸い
を、次のようにたたえています。『不法が赦され、罪を覆い隠された人々は幸
いである。主から罪があるとみなされない人は、幸いである。』」

 アブラハムの出来事は、彼が、肉による直接の先祖ではない私たちにとって
は、遠い出来事の一つのように思えるかもしれません。しかし、私たちは、こ
の事例から、不信心な者を義とする神の恵みが、すべての人、すなわち私たち
にも及んでいることを知ることができるのです。

(完)


第14回「ローマの信徒への手紙4章9〜12節」
(11/9/4)(その1)

9節「では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それと
も、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。『アブラハムの信
仰が認められた』のです。」

 前節のところで、パウロは「不信心な者を義とする恵み」がアブラハムに及
んでいることを高らかに宣言しました。この恵みを受け取ることが、パウロの
言う「信仰」です。

(続)



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