2013年01月06日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 12回「ローマの信徒への手紙3章27〜31節」
(11/8/21)(その3)
(承前)

28〜31節「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるの
ではなく、信仰によると考えるからです。それとも神はユダヤ人だけの神でしょ
うか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実
に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰によって義とし、割
礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。それではわたしたちは
信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確
立するのです。」

 信仰の法則、すなわち救いは百パーセント神から来るという時代が来たがゆ
えに、逆に、神のみが「ハーラル」さるべき方となられたのです。神は唯一で
おはし、救いのすべてを用意されます。そして、その救いは、弱いところにこ
そ及びます。今、この時代にあることを、私たちもパウロと共に、神を「ハー
ラル」しつつ、感謝しましょう。

(完)


第13回「ローマの信徒への手紙4章1〜8節」
(11/8/28)(その1)

1〜3節「では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきで
しょうか。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、
神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。『アブラハム
は神を信じた。それが、彼の義と認められた』とあります。」

 前のセクションのところで、パウロは、キリストの十字架の贖いによる義、
言い換えれば、信仰による義、という新しいそして完全な義の時代が来たこと
を宣言しました。
 次に、普通でしたら、この新しい完全な義がもたらされるために、どのよう
な苦労があったのか、すなわち、イエス・キリストの生涯、とりわけ苦難と復活
について、詳しく述べられるところかも知れません。しかし、パウロはそれを
致しません。知らなかったのでしょうか。そうではありません。確かに、まだ
福音書はまとめられていませんでした。が、教会の中で、特に十二人を始めと
する弟子たちの間で、イエス体験は語り継がれ、書きとめられていた、と考え
られるからです。
 パウロが生前のイエスについて触れることがないのは、彼が、生前のイエス
との直接の出会いを体験していない、というのが一つの理由かもしれません。
が、それよりも、彼にとっては、イエスによって、その十字架と復活によって、
「信仰の義」の時代が来たことの方が、より大きな関心事であったことが、そ
の最大の理由と考えられます。
 さて、こうして、信仰の義の時代の到来に際し、アブラハムはどうなのでしょ
うか。救いからもれるなどということはないでしょうか。アブラハムの問題は、
その子孫イスラエル全体の問題です。そこで、パウロは4:1以下でアブラハムを
取り上げることとなるのです。そこでまず、パウロ当時のユダヤ教において、
アブラハムがどのような存在であったのか、詳しく見ていくことと致しましょ
う。
 そこで、そもそものアブラハム物語ですが、創世記12章から25章に記されて
います。アブラム、最初は彼はこの名でした、はカルデヤのウルで生まれまし
た。が、父テラのとき、ハラン、すなわちユーフラテス川の源流地域に移住し
ました。父テラは、このハランで生涯を閉じましたが、アブラムは、ハランで
「お前に土地と子孫とを恵むから、カナンの地まで行け」との神の命令を受け
ました。アブラムは当時75歳でしたが、一族郎党を引き連れて、カナンの土地
を目指して出発しました。が、土地の取得は簡単には出来ませんでした。一度
はカナンに入りますが、通り過ぎてエジプトまで行き、また戻って来て土地の
王と契約を結び、やっとカナン定住を果たすこととなります(20章)。子孫に
ついてはそれ以上に困難に直面しました。アブラム99歳、妻のサライ90歳にし
て二人の間に子がありません。しかし、神の祝福は、不可能を可能とし、二人
の間に息子イサクが与えられました。アブラムはアブラハム、サライはサラと
名乗るようになり、神の約束を信じて出発した彼は、名実共にイスラエル民族
の祖となるのです。
 しかし、創世記は、アブラハムが、神の約束を本当には信じられない人物で
あったことも描いています。土地に関して言えば、エジプト滞在のとき、ある
いはカナンでも、彼は、そこに何とか住まわせてもらおうとして、土地の王の
機嫌を取って、自分の妻を妹と詐称しました。結果、トラブルを引き起こしま
した。信仰より策に生きたのです。子については、子がないことに悩んだこの
夫婦は、サライの女奴隷ハガルに庶子イシュマエルを産ませました。どうして
も主の約束を信じられなかったのです。創世記の語るところによれば、アブラ
ハムは、神を信じて行動しようとしたことはしましたが、信じきれていない、
「普通の人」でした。
 ところが、旧約聖書の時代が終わり、ユダヤ教の時代になると、アブラハム
の「義人化」が始まりました。きっかけとなったのは、紀元前二世紀に書かれ
た「ヨベル書」というユダヤ教の書物です。

(続)



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