2012年12月16日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 11回「ローマの信徒への手紙3章21〜26節」
(11/8/7)(その2)
(続)

 そこで、この後どうなるのか? 果たして救いはもたらされるのか、という問
題ですが、その結論について、実は、私たちはすでに知っているのです。ロー
マの信徒への手紙1:16-17において、すでに、「主題」という形で結論が示され
ていました。そればかりではありません。「神の怒り」のテーマの下において
も、神はイスラエルに与えられた祝福の約束を決して違えることがないことが
触れられていました。しかし、今日のテキストからは、主題提示やほのめかし
によってではなく、キリストの贖いによる義化、無罪放免、つまり「神の怒り
を免れること」のテーマに入っていくこととなります。
 つまり、「キリストの十字架の贖いによる義化」のテーマに入っていきます。
このテーマは初登場ですので、パウロは、まず事実経過から述べるべきです。
ところが、彼はそれを飛ばして、「律法とは関係なく、しかも律法と預言者に
よって立証されて」以下の、次に続く問題をいきなり取り上げています。そこ
で、私たちはまず、事実経過を補うところから始めてまいりましょう。
 事は、神が人類の歴史上初めて、キリストの十字架の死による贖いをもって
人間を義とする、ということを始められた、という救済史上の大事件なのです
が、それは、イエスとパウロとの出会いというささやかな出来事をもって明ら
かとされることとなりました。以下、イエスとパウロとの出会いについて触れ
て参りましょう。
 イエスとパウロとは、ほぼ同世代です。イエスの宣教活動は、マルコによる
福音書から読み取れる限りにおいては、ほぼ一年に過ぎないものですが、決し
て広いとはいえないユダヤ人社会のことです。パウロがイエスの宣教活動につ
いて伝え聞いていた可能性はあります。しかし、イエスが行かれたことのない
異邦の地、タルソスで生まれ育った、ファリサイ派のパウロが、イエスと直接
の接触をもったことはまずなかったでしょう。資料にも、その痕跡は全くあり
ません。
 が、もしも、パウロがイエスのことを伝え聞いていたとしたら、パウロはイ
エスのことをどう思ったでしょうか。パウロは、その頃バリバリのファリサイ
派でした。そしてファリサイ派は、ハシダイの流れを汲むグループで、律法を
よく研究し、正しく行動することによって敬虔を表現するユダヤ教の伝統の中
にあって、さらに少数精鋭主義を志向するグループです。ですから、イエスに
ついては、「律法違反を自ら行い、弟子たちにも勧める、とんでもないラビ」
としか思わなかったのではないでしょうか。
 しかし、イエスは、マルコによる福音書による限り、律法違反のかどで訴追
されることはありませんでした。が、神殿冒涜の罪で、サンヒドリンに訴追さ
れることとなりました。当時、おそらく死刑執行の権限がなかったサンヒドリ
ンと、ティベリウス帝の下で、何としても保身を図りたかった総督ピラトの思
惑が見事に一致して、イエスは、偽メシアとして十字架に架けられ、刑死して
しまいます。パウロは、イエスの十字架刑については、もし知っていたらどう
思ったことでしょうか。
 ところが、そのメンバーから裏切り者まで出して、ズタズタになっていたは
ずの「十二人」というイエスの弟子集団が、イエスの死後、なぜか急に元気に
なり、「イエスはよみがえった」と主張し、教会なるものを設立しました。し
かし、その教会のメンバーも、律法はきちんと守っているようで、当時のサン
ヒドリンは、「世間を騒がせるな」との注意を与えつつも、お咎めなし、とし
ました。パウロも最初は、教会なるものを静観していたのではないか、と思わ
れます。
 しかして、教会の中に「ヘレニスト」出身のグループが出現しました。そこ
で、パウロも黙ってはいられなくなりました。なぜなら、彼らは、積極的に異
邦人伝道を行い、そして、異邦人信徒については、そもそも律法を守る前提で
ある割礼について、「割礼を受ける必要はない」と主張し始めたからです。こ
れは由々しきこと、律法主義、そしてユダヤ教の危機です。そこで、教会内の
ヘレニスト・グループを迫害していた、というのが、パウロがキリストたるイ
エスに出会う直前の状況でした。
 その、パウロと、よみがえりのイエスとの出会いですが、使徒言行録9章によ
れば、それは、パウロの「幻視体験」として起こりました。それは、ダマスコ
途上でした。その時、パウロは、よみがえりのイエスに「サウロ(パウロ)、な
ぜ私を迫害するのか」と問いかけられました。そして、彼は迫害者から迫害さ
れる者へと変わったのです。ところが、パウロ自身が書いたものの中では、
「ダマスコ途上の体験」に触れたものが一切ありません。それゆえ、パウロと
よみがえりのイエスとの出会いが、使徒言行録9章のようにしてなされたのかど
うか、確定できません。しかし、コリントの信徒への手紙一15章では、彼は
「自分は復活のキリストに出会った」とはっきり書いていますので、ダマスコ
途上であったかどうかは、確定できなくとも、確かに出会いはあったのでしょ
う。
 さらに、この出会いによってパウロは、迫害者から被迫害者へと変わったば
かりではありませんでした。

(続)



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