2012年10月21日

〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第 七回「ローマの信徒への手紙2章17〜24節」
(11/7/10)(その2)
(承前)

 しかし、パウロは、ここではさらに特定の使命に生きるユダヤ人を非難攻撃
の対象としていることがわかります。

 19-20節「また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、
盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師と自
負しています。」

 ここには特別の使命に生きるユダヤ人の姿が描かれています。
問題は異邦人問題です。神がイスラエルと契約を結ばれた時、イスラエル人に
とって、イスラエル以外の民族、後に言う異邦人は眼中にありませんでした。
無視していたわけではなく、弱小民族であるイスラエルは、自分の身を守るこ
とで精一杯だったのです。
 ユダヤ人の時代になって、ユダヤ人は、アッシリア、バビロニア、ギリシア、
ローマといった異邦人の大国に、いやというほど直面させられることとなりま
す。が、ユダヤ人はこれらの国々に翻弄されてばかりいたわけではありません。
これらの国々も、神の支配の下にあることを知るのです。
 さらには、ユダヤ人の時代になって、ユダヤ人自身がディアスポラのユダヤ
人となるケースが大変多くなり、ユダヤ人に中には、個人的に異邦人と接触す
る機会が多い人が増えてきました。ディアスポラとは離散という意味で、きっ
かけはバビロン捕囚ですが、ユダヤ人はその後も、特に生活上、商売上の理由
で世界各地に散っていったのです。異邦人と接触する中で、彼らは、ユダヤ人
としての誇りを再認識するようになっていました。すなわち、偶像礼拝をしな
いこと、律法を持っていることなどです。
 その結果、紀元前1世紀ごろからパウロの時代にかけて、ユダヤ人、ユダヤ
教徒による異邦人伝道が盛んに行われるようになってきました。ユダヤ人、ユ
ダヤ教徒の異邦人伝道者が起こり、異邦人に、偶像礼拝を捨ててまことの神に
立ち返るべきこと、さらには割礼を受けてユダヤ教に改宗し、律法を守るよう
勧めたのです。そして、実は、ほかならぬパウロ自身が、ユダヤ人、ユダヤ教
徒による異邦人伝道に加わっていたらしいのです。
 ユダヤ人、ユダヤ教徒の異邦人伝道者が、どのような神学、そしてどのよう
なメッセージをもって伝道に従事していたかについては、直接の資料がないの
で定かではありませんが、マタイによる福音書、あるいは、同時代のクムラン
文書から推測することができます。一つは啓発です。律法に関して無知な異邦
人の心を律法に向けさせなければなりません。マタイ15:14で、イエスはファ
リサイ派のことを「盲人の道案内」と呼んでおられますが、実は、これは異邦
人伝道に携わるユダヤ人、ユダヤ教徒の自負だと考えられます。また、クムラ
ン文書の中に、「暗闇の中にいる者たちの光」という表現が出てきますが、こ
れも異邦人伝道に携わるユダヤ人、ユダヤ教徒の自負でしょう。もう一つは教
育です。律法に関して全く無知な異邦人を、一人前のユダヤ人、ユダヤ教徒と
して仕立て上げるためには、ユダヤ人が自分の子弟にシナゴグで施すような律
法教育が施される必要がありました。異邦人伝道者は、同時に律法の教育者で
した。クムラン文書の中に、ユダヤ教徒を「教導者」「神的奥義の所有者」と
する表現が出てきますが、これも異邦人伝道者の自負だったのでしょう。
19〜20節で、パウロはユダヤ人のことを「律法の中に、知識と真理が具体的に
示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、
未熟な者の教師」と表現していますが、これらは、ユダヤ人の異邦人伝道者の
自負そのものだったのです。そしてそれは、パウロ自身のかつての自負でした。
 しかし今や、パウロがキリストの贖いの恵みに出会った今や、パウロの過去
そのものでもある、ユダヤ人、ユダヤ教徒の異邦人伝道者が批判にさらされま
す。

 21-24節「それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないの
ですか。『盗むな』と説きながら盗むのですか。『姦淫するな』と言いながら、
姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。あなた
は律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。『あなたたちのせい
で神の名は異邦人の中で汚されている』と書いてあるとおりです。」

 パウロ自身がかつてユダヤ人、ユダヤ教徒の異邦人伝道者であったとすると、
ここに記されていることは、パウロが頭の中で考え出したことでも、伝聞を記
したものでもありません。パウロ自身が体験し、あるいは間近で見て、聞いた
ことということになります。教育者として、ユダヤ人、ユダヤ教徒の異邦人伝
道者は、律法を異邦人に丁寧に教えたことでしょう。ここに挙げられた「盗む
な」「姦淫するな」「偶像礼拝の禁止」という十戒の条文は、フィロもこの組
み合わせで取り上げています。律法全体を指す、という意味があると思われま
す。具体的な事件の背景があった可能性もあります。パウロの身近なところで、
「盗むな」と教えながら盗む人、「姦淫するな」と教えながら、姦淫する人、
偶像礼拝を禁止しながら、偶像に関わる神殿の物品を盗み出す者がいたのかも
しれません。

(続)



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