2012年08月26日
〔ローマの信徒への手紙講解説教〕
第
2回「ローマの信徒への手紙1章8〜15節」
(11/5/22)(その2)
(承前)
使徒の働きとは何でしょうか。イエス・キリストから直接命令を受けている
のは使徒だけである、と考えられていますから、使徒は、まず、正しい教えを
取り次ぐ者とされます。そして、そうであるがゆえに、公の礼拝において、イ
エス・キリストの名を挙げて、とりなしの祈りを祈ることができるということ
になります。さらに、この使徒の権威と職務は、按手という形で「監督
(ビショップ)」に受け継がれ、司祭に受け継がれ、カトリック教会の聖職者制
度が出来上がっていくこととなりました。ちなみに、プロテスタント教会の牧
師は、万人司祭主義の下にありますから、み言葉の取次ぎに特に召された者で
あっても、聖職者ではありません。
パウロはここで、使徒の権威をもって、ローマの信徒のために執り成し、感
謝を献げ、神をほめたたえます。そしてその権威の証しとして、自分が教会に
きちんと仕えていることを示します。「心から神に仕えています」は、「教会
で仕えています」の意です。なお、「神が証ししてくださる」は、原文では、
「御子の福音を宣べ伝えながら」の前に置かれています。神が証ししてくださ
るのは、パウロが教会に仕えていること、使徒の権威を持っていること、とい
うことになります。
ところが、9節後半から12節まで、彼の使徒としての権威に満ちた姿勢は、
不安定なものへと急変いたします。
9節後半〜12節「わたしは、祈るときにいつもあなたがたのことを思い起こ
し、何とかしていつかは神のみ心によってあなたがたのところに行ける機会が
あるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、”霊“の賜物を
いくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あ
なたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励ましあいたいのです。」
いよいよここで、パウロがローマ教会への訪問の希望を持っていること、が
明らかとなります。しかし、ローマ訪問の理由は何でしょうか。
第一に考えられるのは、使徒の権威を持っているパウロのことですから、
ローマの教会の設立式ですとか、あるいは別の重要な式典に参加するためなの
ではないか、ということです。日本基督教団においても、教会の設立式や、教
師の任職式には、必ず教区議長ないし代理が出かけていき、式を執行します。
使徒の時代でしたら尚更です。使徒言行録10章によれば、コルネリウスという
大変に信心深い人が、日々祈りを献げる生活をしていましたが、それだけでは
教会は設立されず、十二使徒の一人、ペトロが呼ばれていくことによって、教
会の設立となりました。
パウロとローマ教会においてはどうでしょうか。9節後半〜10節にかけて、
パウロが、ローマ教会に呼ばれている気配は全く感じられません。「何とかし
ていつかは神のみ心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように」
とは、呼ばれる機会がほとんどないことを示しています。パウロは「伝道範囲
(テリトリー)」のことを気にしているのではないか、と考える人もいますが、
テリトリーが違っても、呼ばれることはあります。
第二に考えられるのは、教会に行って、使徒の権威をもって勧告する、とい
うことです。権威ある教師を呼んで、勧告をしてもらう、ということは、しば
しばあることです。が、11〜12節において、パウロが勧告を目指している様子
は全くありません。「霊の賜物を分け与えて、少しでも力になりたい」ですと
か、「あなたがたとわたしが持っている信仰によって互いに励まし合いたい」
ですとか、パウロは大変に控えめなのです。パウロが、自分の謙虚さですとか、
自己卑下を示したのだ、と考える人もいますが、明らかに、パウロに、勧告を
するつもりはなさそうです。
それでは、パウロは一体何のためにローマの教会へ行こう、としているので
しょうか。それはまず、自分の使徒職の弁明です。それゆえ、謙虚であり、な
おかつ行きたいのです。ローマにおいて、パウロの「悪いうわさ」などが広がっ
ていたとする証拠はありません。が、一方、パウロの使徒としての権威がきち
んと受け止められていたかどうか、も分かりません。権威が受け止められるた
め、彼はローマに行く必要があり、また手紙を書く必要もあったのです。
教会における権威は、神の下にある権威であるとは言え、いやそうであるか
らこそ、疑いと敵対の中に置かれています。パウロの時代の教会も、パウロ自
身も、疑いと敵対の中にありました。それゆえ、弁明に多くの時間と労力を裂
かねばなりません。しかし、その弁明の中で、福音が明確にされ、宣教の基礎
か確かなものとされていくことも、これまた、神の不思議な導きなのではない
でしょうか。
13-15節「兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、
あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと
企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開
の人にも、知恵ある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、
ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。」
(続)
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