2012年08月05日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第86回「マルコによる福音書16章1〜8節」
(11/4/24)(その3)
(承前)

 天使は白い衣をまとっています。地上の祭司も、願いごとを天に取り次ぐ必
要上、白い衣をまといます。ここ、墓場で、彼女たちが白い衣を着た若者に出
会ったということは、ここで天的存在に出会った、ということです。ペトロと
ヤコブ、ヨハネの三人の弟子が、み姿かわりの時(9:1以下)山で白い衣を着た
イエス、モーセ、エリヤと出会ったのと同じです。しかし、それが、山という、
古来人と神とが出会う場所とされているところではなく、本来、人の滅びの究
極の行き先である墓で出会いの出来事があったということが、大変に驚くべき
出来事なのです。彼女たちは、本当に驚きました。5節で「ひどく驚いた」と
訳されている語は、新約聖書ではここだけで用いられている語で、本当に大き
な驚きを表し、彼女たちの驚きが尋常ではなかったことを表しています。墓が、
神が顕れられる場所に変えられてしまっていたのです。
 さらに、その天的存在である若者が告げたことが驚くべきことでした。若者
は「驚くことはない」と言いましたが、その内容は、驚くことはないどころか、
大変に驚くべきことでした。宣教活動を通して神の国、神の支配の到来を宣べ
伝え、神の国の教会をつくるという事業をなされたイエスですが、今は死なれ
て安らかにお休みになっておられるはずのところ、遺体がなくて、よみがえら
れて、しかも、今もアクティブに動いておられるというのです。自分たちは、
イエスの葬りを完成しようとやって来たはずなのに、このような事態があって
いいのだろうか。彼女たちは、驚きと恐怖のあまり、天使の告げたイエスの顕
現の約束の伝達も忘れて、逃げ帰り、驚きと恐れのあまり、ぶるぶる震えてい
た、というのが、マルコによる福音書の本来の終わりでした。
 肝心の復活のイエスの顕現のないマルコによる福音書を根拠に、私たちは
「三日目に死人のうちよりよみがえり」とどうして告白できるのか、と思うか
もしれません。でも、このマルコの終わり方で告白できるのです。イエスは既
にガリラヤにて「自分は復活する」とはっきりおっしゃっておられました(8:31、
9:9,31、10:33,34)。このイエスの言葉を本気で受け取るなら、信じるなら、マ
グダラのマリアらが体験した出来事、すなわち、滅びの結末であるはずの墓場
が天的栄光の場とされ、そこにイエスのご遺体がない、という出来事をもって、
イエスが復活して今も働いておられる、という結論に当然に至るのではないで
しょうか。
 イエスが今も働いていらっしゃる以上、私たちも働くべきである、これがこ
の福音書全体の結論であります。

(完)


〔ローマの信徒への手紙講解説教〕

第1回「ローマの信徒への手紙1章1〜7節」
(11/5/15)(その1)

 イエスの異邦人伝道、神の国、神の支配の実現をユダヤ人 以外の人々にも、
すべての人々に伝えるという働きは、その後どうなったのでしょうか。
 よみがえりのイエスに出会って、本当に神の国の教会に仕える使徒として の
働きを始めた十二人は、イスカリオテのユダが抜けたあとを補充して、神の 国
の教会に仕える働きを始めましたが、異邦人伝道に直ちに着手した訳ではあ り
ませんでした。
 もちろん、ペトロを始めとする十二人が、異邦人に対する偏見から自由で は
なかった、という事情もあるかもしれません。しかし、異邦人伝道が進まな かっ
た根本の理由は、礼拝の守り方にありました。最初の教会はエルサレムにあ り
ました。そして、教会で独自の礼拝を守っていたわけではなく、エルサレム 神
殿で礼拝を守り、しかも教会として存続していたのです。イエス・キリスト が
ご指示された聖餐式そして新しい礼拝は、家の教会で守られていたかもしれ ま
せん。が、あくまでも神殿礼拝が中心ですから、神殿礼拝に変わる新しい礼 拝
は、まだ守られずにいたのです。よって、この頃のエルサレム教会の実態 は、
ユダヤ教キリスト派であって、異邦人にも神の国、神の支配の実現を告げ る、
というところからは遠いところにあったのです。
 しかし、神の国の教会における礼拝は、アンティオキアの教会に始まりま し
た。アンティオキアに教会が形成されたきっかけは、使徒言行録11:19 によれば、
エルサレムに起こったステファノらへの迫害です。この迫害を逃れてエルサ レ
ムを離れた弟子の一部が、アンティオキアで教会を形成したのです。ステ ファ
ノ自身は、十二人に出会ってイエスの弟子となったのでしょうが、彼はギリ シ
ア語を話すユダヤ人の一人で、神殿礼拝に対してより自由な立場をとってい た
ようです。彼は殉教前の説教で、「いと高き方は人の手で造ったようなもの に
はお住みになりません」とはっきり言っています(使徒言行録7:48)。 この発言
が本当になされたとすれば、それがステファノ殉教の直接の原因になったと も
考えられます。ステファノばかりでなく、アンティオキアに向かった人々 も、
神殿礼拝により自由な立場をとっていたことは確かです。そこでアンティオ キ
アの教会では、神殿礼拝と二股かけた礼拝ではなく、イエスが提唱された 「新
しい礼拝」が始まったのではないか、と考えられます。

(続)




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