2012年07月22日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第85回「マルコによめる福音書15章42〜47 節」
(11/04/22)(受難日礼拝)(その2)
(承前)

 新しい神の国の教会の建設という希望に行き着いたイエスの十字架上での死
でしたが、そのご遺体に関しては、なお極悪人扱いで、埋葬されない危険すら
ありました。
 このようなイエスのご遺体の危機を救うべき者はだれでしょうか。本来でし
たら、イエスの弟子たち、十二人がそれであるべきです。その当時のユダヤで
は、たとえ囚人としての死を遂げた人であっても、その親族や友人は、何とか
埋葬をしよう、と努力したものでした。しかし、ここには弟子たちの姿は全く
見られません。
 代わりに名乗りを上げたのは、福音書では無名の、アリマタヤ出身で身分の
高い議員のヨセフでした。アリマタヤは、エルサレムの北数マイルの地である、
とも言われていますが、確かではありません。また、ここで「議員」と訳され
ている語ですが、サンヒドリンの議員の「正式名称」ではありません。よって、
「彼はサンヒドリンの議員だったのではないか」という以上のことは言えません。
このようにアリマタヤのヨセフの人となりは曖昧模糊としているのですが、彼
が、ユダヤ教の内部にありつつ、神の国を待ち望んでいたことだけは確かです。
彼が、イエスの弟子でもないのに、イエスのご遺体の引き取りを決心いたしま
した。しかし、引き取るためには、二つの問題を乗り越えなければなりません
でした。一つは、イエスが、結果的には「木につるされる」という形で死なれ
たため、本日の旧約書、申命記21章22-23節にあるごとく、地を汚さないため
に、もしも葬るならば、その日の中に埋葬せねばならない、ということでした。
しかも、ユダヤ教の指示に抵触してはなりません。墓を早急に用意せねばなり
ません。そこで彼は、自分にできる唯一の方法、自分が家族のために用意して
きた墓を提供することによって、この問題を乗り越えたのでした。驚くべきこ
とです。
 第二に、当然のことながら、イエスの埋葬には、裁判官にして、刑の執行者
であるところのピラトの許可が必要だった、ということです。ヨセフは、勇気
をもってピラトの所へ行き、許可を得ました。許可には、百人隊長の尽力もあっ
たと考えられます。
 こうして、イエスのご遺体は、きちんと埋葬されることとなりました。

44-47節「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊
長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめた
うえ、遺体をヨセフに下げ渡した。ヨセフは亜麻布を買い、岩を掘って作った
墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセ
の母マリアとは、イエスの遺体を収めた場所を見つめていた。」

 ヨセフは、イエスの遺体を、大変高価な亜麻布で巻き、囚人には普通はあり
えないような丁重な葬りを致しました。
 が、アリマタヤのヨセフはイエスの弟子ではなく、あくまでもイエスに好意
的なユダヤ教徒です。もちろん、この出来事によって、神の国の宣教が、確か
な手ごたえをもって受け止められていく、ということが証明はされました。し
かし、イエスご自身は、ユダヤ教徒の一人として埋葬されている訳にはいかな
いのです。イエスによって建設された神の国の教会にふさわしい埋葬、そして
復活へと突き進まねばならないのです。よって、ここでの埋葬は、あくまでも
復活のための前段となりました。
 この埋葬から復活へという、イエスの歩みと共に歩む一人の弟子がいました。
それが、マグダラのマリアです。私たちも、イエスの復活を迎えるために、マ
グダラのマリアと共に歩み、備えてまいりましょう。

(完)


第86回「マルコによる福音書16章1〜8節」
(11/4/24)(その1)

1-2節「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、
イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく
早く、日が出るとすぐ墓に行った。」

 使徒信条そして日本基督教団信仰告白にあるごとく、主イエス・キリストは
「十字架につけられ、死にて葬られ、三日目に死人の中からよみがえった」こ
とを信じることが、キリスト教会の信仰です。そのイエス・キリストのよみが
えりはどのようにしてなされたのか、また、そもそもよみがえりとは一体何で
あるのか、本日は、マルコによる福音書講解説教の最終回として、マルコによ
る福音書16章1〜8節から学んでまいりたい、と思います。マルコの時間表によ
れば、イエスが十字架上にて息を引き取られたのが、安息日の前日、金曜日の
午後3時ころのことでした。十字架刑に処せられた囚人の遺体の埋葬については、
前回、受難日の講解説教で触れたように、様々の条件が付きまとうのですが、
もし埋葬するとすれば、その日の中に、つまり日没までの時間に埋葬されねば
なりませんでした。
 さあ、困りました。様々の難題と共に、そもそもイエスの遺体を埋葬すべき
人がいません。イエスの弟子たちは遁走してしまっていないのです。

(続)



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