2012年07月15日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第84回「マルコによる福音書15章21〜41 節」
(11/4/21)(洗足木曜日礼拝)(その3)
(承前)

 福音書記者は、それに加えて、同じ十字架刑でも、イエスだけが体験した悲
惨さを記述します。マルコによれば、それは三つありました。第一は、兵士た
ちによる侮辱です。ぶどう酒を受け取ることは、有罪の受刑者が苦痛を和らげ
るためにすることでした。イエスはそれを拒否されました。無罪、無実だから
です。第二に、イエスは、ユダヤ人の同胞からもののしられます。ローマとユ
ダヤとの力関係から考えると、これは、本来はありえないことです。しかし、
イエスは、ユダヤ教との対立が発端で「はめられた」という十字架刑の経過か
らして、祭司長、律法学者たちばかりでなく、一般人からも、誹謗中傷を受け
られることとなります。さらに、第三に、本来は反逆者仲間として連帯するは
ずの受刑者仲間からも、ののしられることとなりました。十字架刑そのものの
悲惨に加えて、これらの侮辱を受けられ、イエスは、十字架刑としては早い死
を迎えられることとなりました。ストレスが、イエスの死を早めたのでしょう
か。以下、一気に読みます。

 33-39節「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』これ
は『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味で
ある。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて『そら、エリヤを呼ん
でいる』と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて
葦の棒に付け、『待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか見ていよう』と言
いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引
き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊
長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのようにし
て息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の子だった』と言った。」

 「全地は暗くなった」ということは、象徴的な出来事です。イエスの苦しみ
が、太陽も隠れるくらいのところまで、闇の極みに至った、という意味です。
その闇の極みで、イエスは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と、つまり
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。
この言葉は詩編22編にある言葉です。神にまで見捨てられた絶望の叫びである、
と受け取られてきました。が、はたしてそうなのでしょうか。実は、マルコが
引用した旧約聖書は、少なくとも詩編22編に関しては、わたしたちが持つ版と
は別の版だったようです。その詩編22編においては、表題が次のものでした。
「歌い手のために、朝が継続して与えられる助け」でした。つまり、詩編22編
は、絶望の詩ではなくて、闇の極みに、朝への希望があることを謳った詩だっ
たのです。その希望とは何でしょうか。それは、終末のエリヤの助けさえも必
要のない、大きな希望です。神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けるという象徴的出
来事に示されているように、贖いが完成し、百人隊長という明らかな異邦人ま
でもが、イエスを「神の子である」と告白する事態、新しい神の国の教会の礼
拝が始まったという希望だったのです。

 私たちの教会は、このイエスの十字架の出来事に始まる教会です。聖餐をもっ
てイエスの体と血とに与りつつ、私たちも献身の決意をもって、教会の歩みを
進めてまいりましょう。

(完)


第85回「マルコによめる福音書15章42〜47節」
(11/04/22)(受難日礼拝)(その1)

 42節「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であっ
たので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラト
のところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神
の国を待ち望んでいたのである。」

 刑罰を受けて死んだ者の埋葬をどうしたらよいか、ということは、なかなか
難しい問題でした。特にユダヤ教では、犯罪者は汚れている、と考えられてい
ましたから、より厄介な問題となりました。イエス当時のあるユダヤ教文献は、
この問題について論じています。
 まず、政府によって殺された者については、彼らの死は贖われている、とさ
れます。殉教者扱いなのでしょうか。しかし、イスラエルの法廷で裁かれた者
については、贖いの余地はない、とされます。それゆえ「極悪人は先祖の地に
葬ってはならない」との規定が適用されるのです。それでも埋葬したいと言う
なら、家族の墓地に入れよ、と指示されています。個人の責任において何とか
しなさい、というわけです。イエスの場合にはどうでしょうか。ピラトの法廷
において、十字架刑に定められた、という点においては、政府による殺害に当
たるのかもしれません。一般にローマへの反逆を志し、失敗し、十字架刑に処
せられた多くの囚人たちは、贖われると考えられるわけです。しかし、イエス
の場合には、十字架刑は十字架刑でも、サンヒドリンで冒涜罪で死刑の判決を
受けた後、ねたみで十字架刑に差し向けられてしまった、というケースです。
贖われません。「極悪人は先祖の地に葬ってはならない」という規定が適用され
る最悪のケースです。

(続)


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