2012年07月01日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第83回「マルコによる福音書15章9〜20節」
(11/04/17)(その3)
(承前)
一度ならず、二度、三度と「イエスをどうするのか」とユダヤ人に問うたこ
とにより、ピラトには、やはりイエスを釈放したいという思いがあったのでは
ないか、と受け取られるかもしれません。しかし、マルコによる福音書から読
み取る限り、そうではありません。イエスは「ユダヤ人の王」と自称したとして
裁判にかけられました。政治犯として、体制を揺るがしかねない重大な嫌疑で
す。一方のバラバは、暴動において殺人を犯してはいますが、「ユダヤ人の王」
と自称してはいません。一般的に言えば、ユダヤ人は、殺人犯を処刑すること
に対してよりも、「ユダヤ人の王」と自称した者を処刑することに対して、よ
り神経質になるはずです。ピラトはそこを気にしていたのではないでしょうか。
とは言え、強気のピラト、権勢絶頂のピラトでしたら、ユダヤ人が何と言おう
と、つまり三度も確認することなどなく、「ユダヤ人の王」と自称する男を、
即断で十字架刑に処していたことでしょう。しかし、事情により弱気になって
いたピラトは、三度確認することにより、やっと安心して十字架刑判決を出す
ことができたのではないでしょうか。弱気のピラトですから、それ以外に自ら
が生き残る道のない十字架刑の判決を下すことができて、内心、ほっと胸をな
でおろしたに違いありません。
しかし、それにつけても、ユダヤ人たる群衆は、祭司長たちに扇動されたと
は言え、自らの中にはイエスに対する妬みなどないはずなのに、やがて自らの
首をしめることになるやも知れない、「十字架につけろ」という言葉をなぜ叫
んだのでしょうか。普通には考えられない言葉です。しかし、考えられる一つ
のケースがあります。それは、ユダヤ人がイエスを「ユダヤ人の殉教者」とみな
した場合です。
ヨハネによる福音書11:49-50によると、大祭司カイアファが「あなたがたは
何もわかっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで
済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」と言いました。さらに、
当時のユダヤ教の中にも、「軍事的抵抗よりも、殉教の方が価値がある」とす
る考え方がありました。もしも、その思想が当時のユダヤ人の間に浸透してい
たとすると、一見弱々しい「ユダヤ人の王と自称した男」が、十字架刑に処せ
られて反逆罪の罪を負うことにより、ローマのユダヤ人に対する圧政が、当面
しのげる、と考えたとしてもおかしくはありません。だとすると、イエスは十
字架刑に処せられることにより、ユダヤ人、ユダヤ教徒のためにも犠牲の死を
遂げたことになるのではないでしょうか。
さて、十字架刑の判決を受けたイエスは、十字架刑に処せられる前に、囚人
としての辱めを受けることとなりました。
16-20節「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、
部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでか
ぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。また、何度も、葦の
棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエ
スを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につ
けるために外へ引き出した。」
囚人を侮辱することは、すでにエジプトやメソポタミアの国々の王によって、
ユダヤの人々に対してなされており、ここでイエスが体験されたことは、かつ
て、ユダヤの敗北の王が体験したことの再現でもあります(列王記下25:7)。し
かし、実は、イエスの受けた苦しみは、ユダヤ人のために受けた苦しみである
ばかりではありませんでした。ヨハネ11:52に言われているごとく、すべての
神の民を一つにするための苦しみでした。まだ、栄光は見えていません。イエ
スも、イエスに従う者も、もうしばらく苦しみの中を耐えねばなりません。
(完)
第84回「マルコによる福音書15章21〜41節」
(11/4/21)(洗足木曜日礼拝)(その1)
21節「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというクレネ人が、
田舎から出てきて通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担が
せた。」
今までの経過で明らかになったことは、イエスは少なくとも十字架刑に値す
ることは何もしてはいない、無実である、ということです。
そもそも、十字架刑は、ローマ起源の刑罰です。国家への裏切り、ないしは
脱走の場合に課せられた刑罰です。ペルシアには、もっと残酷な突き刺しの刑
なるものがあったとのことですが、主旨は同じでした。
ユダヤにも、犯罪者の遺体を木にかけるという風習があったようです(エステ
ル記7:9)。しかし、申命記21:22-23の規定をよく読んでみると、ローマの十字
架刑とは主旨が違います。犯罪者を処刑した後、神に呪われた者として扱うし
るしとして木にかけるのです。もっとも、ローマの影響がユダヤの一部に及ん
だのでしょうか。イエス当時のエッセネ派のある文書では、自分の教団に背い
て外国人と通じた者、売国奴と呼ばれる人は十字架刑に処せられる、との記述
もあります。
(続)
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