2012年06月24日
〔マルコによる福音書講解説教〕
第83回「マルコによる福音書15章9〜20節」
(11/04/17)(その2)
(承前)
イエスの、ピラトの前での裁判の続きと結末です。元来、冒涜罪で告発され
たイエスが、なぜ国家の裁判を受けなければならないのか、それについては前
回触れました。ピラトと祭司長たちの100パーセント世俗的な思惑が、裁判を
動かしていたのです。そして、この両者の目指すところは、イエスの十字架刑
でした。
まずピラトは、イエスがユダヤ人の王である、と自称しているという前提で、
裁判を始めました(2節)。マルコによる福音書による限り、イエスご自身がそ
のように言われたことは一度もありません。祭司長たちの讒言がその発信源で
しょう。が、ピラトにとっては、それが真実であろうとなかろうと、「ユダヤ
人の王と自称すること」は、ローマの支配にとって大変危険なことですから、
そのような男はさっさと十字架刑に処すことが、彼自身の身の安全にとって
もっともよいことでした。逆に、ユダヤ人の王と自称する男を釈放しようとし
たりすることは、彼自身の身にとってもっとも危険なことでした。ピラトは、
イエスの十字架刑に向かってまっしぐらに進んでいました。
一方の祭司長たちも、イエスの十字架刑へとまっしぐらに進んでいました。
そもそもは、祭司長たちは、十字架刑そのものには反対しなければならない立
場にあるはずです。なぜなら、十字架刑に処せられるのはローマへの反逆者で
あり、そしてユダヤにおけるローマへの反逆者は即、愛国者であるはずだから
です。ですから、同胞のユダヤ人を十字架刑に告発するなどといったことは、
祭司長たちの立場においてはありえません。しかし、祭司長たちは、宗教裁判
で死刑執行のできなかったイエスを殺すことにのみ執着し、つまりねたみから、
イエスをピラトに告発していました。なりふり構わず、結果的に同胞を裏切る
ことになることも厭わず、イエスを十字架刑へと差し向けていったのです。
こうして、イエスの十字架刑を強く指向するピラトと祭司長たちとの両者に
よって、イエスの十字架刑への流れは決定づけられました。が、最後に、十字
架刑の判決が下されるためには、群衆と呼ばれているユダヤ人の判断が必要で
した。
裁判の流れを見ていきましょう。
9-15節「そこで、ピラトは、『あのユダヤ人の王を釈放しないのか』と言った。
祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだ、と分かっていたから
である。祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
そこで、ピラトは改めて、『それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っている
あの者は、どうしてほしいのか』と言った。群衆はまた叫んだ。『十字架につ
けろ。』ピラトは言った。『いったいどんな悪事を働いたというのか。』群衆
はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び立てた。ピラトは群衆を満足さ
せようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架
につけるために引き渡した。」
祭りの度ごとに、一人の囚人を釈放するという慣習を盾に、群衆(ユダヤ人)
が「いつものようにしてほしい」と要求してきたのに対し、ピラトは「あのユ
ダヤ人を釈放してほしいのか」と聞きました。ピラトがイエスを釈放しようと
したかのように受け取れる言葉です。が、違います。イエスを十字架刑に処す
ることが自身の身の安全を保証することになるピラトが、イエスを十字架刑に
処することに対する群衆(ユダヤ人)の反応を恐る恐る聞いた言葉です。
しかし、そもそも、ユダヤはローマの属州、植民地であり、総督はその地で
ローマの権力を代表します。その総督が裁判で、植民地住民であるユダヤ人の
意見を聞く、ということがあるのでしょうか。が、ヨセフスの記述によればあっ
たのです。アケラオがユダヤの王から追放された後、ローマ総督によるユダヤ
支配は紀元後66年まで続きました。その最後の総督がフロルス(在位64〜66年)
でした。このフロルスの圧政は大変に厳しく、フロルスの圧政に抵抗するとこ
ろからユダヤ戦争が始まり、そしてその戦争の結末として神殿が崩壊したので
した。しかし、フロルスが行った裁判においても、神殿の当局者や、市(エル
サレム)の代表と相談しながら裁判が進められた、とヨセフスは報告しています。
群衆と呼ばれてはいますが、その中には、当然サンヒドリンの議員や、町の長
老たちも含まれていたことでしょうから、ピラトの裁判は、慣習どおりに進め
られていたのです。
祭司長たちは、イエスを十字架刑に処することが目的ですから、イエスの十
字架刑、すなわちバラバの釈放、ということで、バラバの釈放要求へと群衆を
扇動いたしました。
そこでピラトが、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者
はどうしてほしいのか」と確認したところ、群衆であるユダヤ人は、「十字架
につけろ」と答え、もう一度「いったいどんな悪事を働いたというのか、」す
なわち「釈放しなくてもいいのか」との主旨のことを聞いたところ、もう一度
「十字架につけろ」との答えがあったため、ピラトは安心してバラバを釈放し、
そして、イエスへの十字架刑の判決を下したのです。
(続)
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