2012年06月10日

〔マルコによる福音書講解説教〕

第82回「マルコによる福音書15章1〜8節」
(11/04/10)(その1)

 1節「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり
最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。」

 「夜が明けると」と言っても、ユダヤの暦ではまだパスカの第一日目ですが、
もう一度サンヒドリンが開かれ、そして死刑判決を下したはずのイエスを、ロー
マ総督ピラトに引き渡しました。
 先週の説教で触れたように、パスカの最中、夜中にサンヒドリンが開かれる
ということ自体、極めて異例です。まして、夜が明けて朝、再度サンヒドリン
が開かれるとなると、異例中の異例です。しかし、マルコによる福音書が書い
ていることが事実であるとすると、よっぽど念入りに、あえて例外中の例外を
実施することが、事前に決まっていたということになります。イエスをパスカ
の最中に逮捕し、サンヒドリンの裁判で死刑判決を下し、しかもピラトに引き
渡すということは、突発的に起こった出来事ではなくて、あらかじめ予定され
ていた出来事ということとなります。ユダヤ教の側のイエスに対する警戒心が
それだけ大きかった、ということでしょうか。
 さて、その予定されていたイエス訴追のプログラムですが、冒涜罪で訴追し
たイエスの身柄を、国家の手に、しかも神のいない国家の手に渡す、というも
のでした。
 サンヒドリンでのイエスの罪状は、ともかく冒涜罪です。神殿礼拝をもって
神に礼拝を献げる、という礼拝の仕方、そしてそれを支える大祭司以下の人々
とシステム、イエスはそれを全否定しました。ユダヤ教は、そのシステムが神
からのものである、と考えるがゆえに、イエスを冒涜罪にて死罪と決定したの
です。が、死刑執行ができないサンヒドリンが、執行を国家に委ねる、という
意図だったのでしょうか、イエスを国家の法で裁かせて、死刑にしてしまおう、
としたのです。
 が、もし仮に、イエスが冒涜罪について有罪であったとしても、このやり方
は、大変にまずいやり方でした。冒涜罪はあくまでも神に対する罪です。ゆえ
にその処理が、神によってサンヒドリンに委ねられている、ということです。
その罪の始末を、神なき国家に委ねてしまう、ということは、ユダヤ教団が神
から委ねられた使命を放棄した、という大罪を犯したことになるのではないで
しょうか。この朝のサンヒドリンの決定は、もし事実であるとすると、ユダヤ
教団の歴史に大きな汚点を残すものとなりかねない、そういう決定でした。
 しかも、サンヒドリンがイエスの身柄を引き渡した相手であるピラトは、本
人自身が冒涜の罪を犯した、そういう人物でした。
 ヨセフスが伝えるところによりますと、ピラトはユダヤ総督として着任後、
皇帝の像のある軍旗を夜間にエルサレム市内に持ち込ませました。「皇帝の像
のある軍旗」は、ユダヤ教徒にとっては偶像です。翌朝、これに気づいた市民
が軍旗の撤去をピラトに懇願しました。が、ピラトは断固として拒否しました。
ところが、市民は五日五晩嘆願を続けたので、ピラトは六日目に広場にユダヤ
人を集め、兵士たちに取り囲ませ、「もし嘆願をやめないなら、首を斬る」と
宣言しました。ところがこの時ユダヤ人たちは、一斉に首を差し出し、「律法
が犯されるよりも、首を斬られて死んだ方がよい」と答えました。それでピラ
トはついに軍旗を市内から運び出したのです。
 明らかな冒涜罪を犯したピラトに対して、ユダヤ人たちは反抗しました。し
かし、今度はサンヒドリンが、冒涜罪への処罰を、何とピラトに依頼した、と
いうわけです。こうしてサンヒドリンは、神から与えられた特権を放棄し、自
ら神なき世界、地の支配に屈従してしまったのです。イエスの裁判は、地の支
配の下に引き継がれることとなりました。
 さて、それでは、ピラトの下でのイエスの裁判はどのようなものだったので
しょうか。

 2-5節「ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イ
エスは『それはあなたが言っていることです』と答えられた。そこで祭司長た
ちが、いろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した。『何も答えないの
か。彼らがあのようにお前を訴えているのに。』しかし、イエスがもはや何も
お答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。」

 神なき国家の権力者として、ピラトの関心は、「いかにしてユダヤ人を、ロー
マの権力の下に屈従させるか」にありました。そのためには、「反逆者は殺せ」
ということとなります。実際、A.D.35年に、サマリア人がゲリジム山に武器を
もって集まる、という事件がありました。その時、ピラトは軍隊をもって鎮圧
し、首謀者を、裁判など行わずに、即刻死刑にしました。
 その事例を鑑みるに、ここでピラトは、少なくとも「裁判らしきこと」は行っ
ています。それは大変不思議なことです。が、そこには事情がありました。
 神なき国家ローマでは、絶えず権力闘争が行われておりました。それに嫌気
が差した人物が、第二代皇帝、ティベリウス(在位14-37年)でした。彼は、任期
途中、27年にカプリ島に隠居してしまいました。

(続)


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